51.高槻市原1583の道標

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高槻市原1496 府道6号、原の四辻(神峰山口バス停)から北東230mの三叉路の東部に西を正面に建つ
(バス停より東へ、二つ目の道標)
尖頭型角柱 121x21x20p(頂高5p)(基部24p高さに含む)
N34.894456 E135.604347


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西面
┌―――――――――――――――――――┐
│(梵字)右神峰山寺道         │
└―――――――――――――――――――┘

南面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

東面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

北面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘


(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、29)
(同書では、バス停からこの道標を含め東への道にある三基は、以前上ノ口にあった道標等を移設したようだ、として
 いる。
 その神峰山口バス停から東三基の内の二基目となる道標で、南東50mの「原1496の道標」三基目とは、「峰」
 の字が異なり、一基目の「原1303の道標」とは、「従是」と「峰」が異なっている。
  元位置に関しては、やはり手掛かりは少ないが、基部がやや曲がっていることから、現在よりも斜度のある場所に
 置かれていたかも知れない。
 一基目の道標を、現「大正の道標」の辻としたので、順番的にこれを2番目の辻にあったとすると、明治の地図より、
 530m北の三叉路の南西部(当時は下條から京坂道に続く道と参道の四辻)
N34.890666 E135.603648
 辺りに、現西面を南面させ立っていたとすれば、現在西に一段低く田圃がある様に、急傾斜の畔際に置くべく「く」
 の字型に基部が曲がっている点とも符合して面白い。そしてこの次、北180mが「牛地蔵の道標」となる。)
「神峯山寺本堂、堂内東長押上小壁に掲げる奉納額」にある16基の内の一つとされるようである。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を南東に望む
 右、神峯山寺へ  奥左、道なりに230m  正面土蔵左に
 奥、私道とあった】  神峰山口バス停へ】  bT4道標が見える】

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【4.道標の西面拡大 【5.道標から西を望む 【6.道標の南面拡大
 基礎部分が24pも  現府道6号のバス停  上部に比べ基礎部が
 露出している】  は見えない】  くの字に曲がる】

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【7.高槻中部の道標】
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【8.高槻南部の道標】

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【9.神峯山寺参道地図】
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