62.能勢町野間稲地燈籠の道標

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能勢町野間稲地251 国道477野間稲地交差点を西へ40m、大ケヤキ北東芝地内に北を正面に建つ
(北西50mに「釈迦堂への道標」が建つ)
常夜灯、竿部 燈籠高166p、竿部77x45x36p
N34.946082 E135.45055


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北面(やや西を向く)
┌―――――――――――――┐
│獻燈 左 妙見山     │
└―――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――┐
│天保三壬辰九月吉日    │
└―――――――――――――┘

南面
┌―――――――――――――┐
│(なし)         │
└―――――――――――――┘

東面
┌―――――――――――――┐
│ 施主 北太良右衛門   │
└―――――――――――――┘


(天保三年(壬辰)九月1日なら、西暦1832年9月24日月曜日となる。この年閏11月あり。)
(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では61)
(同書に「xx家は妙見山道に面しているところから、妙見山への献灯石灯炉の軸に「左妙見」と刻んで、
 道標を兼ね備えたものにしている。」とし、所在地は「○○家庭」としている。
 「けやき資料館」の方の話では、「現在は公園の芝地内に移設された。」との事で、何回か移設を経てい
 ると思われる。近くからとすれば上記「釈迦堂道」道標地点であろうが、西から東への妙見道に正対して
 そこに建てると「左」が北を指しよくない為、改めて元々の建立位置を明治の地図で検討してみると
 大ケヤキ北側の道は一本道でわざわざ案内の必要がなく、現地点より東約500mの旧国道筋の野間中交差
 点の南35mの三ツ辻が候補となるであろう。
N34.945936 E135.455607
 能勢町野間中613−1の民家南に旧街道の痕跡があり、東側には現在(2019)も地蔵が置かれている。
 地蔵が移設されていないことから、辻の南西部に、現北面を西面させて置かれていたとしたい。(碑面の
 文字の有無から考えると、突き当り東部の設置もあり得る。)
 因みに、東西の道(現府道106相当)は東から西に張り出す扇状地の尾根筋部分を忠実に辿って蛇行して
 おり、現府道で寸断されてはいるが今も残る。上記三ツ辻で南北の「自亀岡・園部至池田道」に出た後は、
 北に35mで東へ分岐する三ツ辻となり、これを東に進むのが「妙見山道」である。
 この北の三ツ辻(現四辻)には、やや東に移されたのであろう道標が三基「野間中の道標1
 残っている。)
(似たものとして同年建立の「野間出野の道標」も参照下さい。)

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【1.燈籠を南東に望む 【2.燈籠を南に望む 【3.燈籠を北西に望む
 後、けやき資料館  右、野間の大ケヤキ  右奥に府道106号
 竿部が道標になる】  左、当燈籠道標】  燈籠後方に釈迦堂道標】

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【4.燈籠竿部北面下部 【5.燈籠竿部西面上部 【6.燈籠竿部西面下部
 「左 妙見山」  「天保三」は見難い  「九月吉日」と
 「左」で道標とする】  「壬辰」斜めに彫る】  はっきり読める】

写真fimg3232 写真fimg3225
【7.能勢町西部の道標】 【8.能勢町東部の道標】

2022/9/13 修正
「天保三年(壬辰)九月1日なら、西暦1832年2月2日木曜日となる。」を
「天保三年(壬辰)九月1日なら、西暦1832年9月24日月曜日となる。この年閏11月あり。」に変更。

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