13.大阪市天王寺区四天王寺境内の道標

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大阪市天王寺区四天王寺1−11 四天王寺境内、宝物館北西角に西を正面に建つ
角柱(灯籠竿部か) 178x33.5x33.5p(上部円座2x外径26p中心部にホゾ穴あり高さ含まず)(龕部40x25x-4p)
二ヶ所で折損
N34.654268 E135.517091


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写真himg4542

写真himg4543

西面
┌─―――――――――――――――――――――――――――――――――┐
│    南右 庚申堂 住吉 堺 あまの 高野山  勝間村酒屋七良兵衛│
│(座像)                     同  柴屋吉兵衛 │
│    北左 生玉 高津 天満天神 八軒家 京道 木津村柴屋太兵衛 │
└――――――――――――――――――――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――――――――――┐
│   平野 藤井寺 道明寺 たまで       │
│東右                      │
│   おぐろ 壷井 通法寺 古んだ 上太子   │
└――――――――――――――――――――――――┘
(「古」は変体仮名「こ」
 「だ」は変体仮名「多」に濁点)

東面
┌─―――――――――――――――――――――――┐
│ 天保二辛卯年八月 建之            │
└――――――――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――――――――┐
│   道頓堀 木津川              │
│西右          先祖代々三界萬霊    │
│   阿弥陀池 安治川             │
└――――――――――――――――――――――――┘


(天保二(辛卯)年八月1日とすると、西暦1831年9月6日火曜日となる。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、223
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行には、未記載)
(行先で馴染みのない所を確認しておく。南面「平野、藤井寺、道明寺、たまで」は大阪市平野区、大阪府藤井寺市、
 藤井寺市道明寺、柏原市玉手町とし、「おぐろ、壷井、通法寺、こんだ」は羽曳野市の大黒、壷井八幡、通法寺、
 誉田、「上太子」は南河内郡太子町とする。
 西面「庚申堂」は四天王寺南門からすぐ南、「あまの」は河内長野市天野の金剛寺とする。「京道」は少し特異で
 あるが「八軒家」の次に書かれ「京橋」或いは「京都」でもよいかも知れない。
 北面「阿弥陀池」は西区北堀江の和光寺、木津川、安治川は川では無く町名とする。)
(上部の遺失や、太さの割に二ヶ所の折れ痕、座像の連座部の擦り切れ等を見ると、一時期野積みされていた様にも
 思える。
  上部にホゾ穴があり、元は灯籠の竿部であろう。行き先に方向と「左右」を書くところから四辻にあったと思う
 が、四天王寺周辺には相応しい辻が見当たらない。四方に進める地点は境内に置くしか無さそうで、見ると10m程
 北西に石畳の四辻があり、ここに置けば解決すると思われる。今でも北へ進む人を除き、他の三方向の人通りは多
 いようである。
  尚、方位を書く道標は時々見受けるが、江戸期で進むべき「方向」を示すものは珍しい。方向を持つ例としては、
 明治期の「神戸市北区八多町附物の道標」
 多分方向を示したもので建立も明治以前と思われる「神戸市北区大沢町日西原地蔵堂の道標」
 銘が一部欠けるが、文政十年と思われる「三田市上相野713の道標」
 方向部分が追刻かもしれないが「西宮市下大市西町3の(大)道標」等を参照下さい。
  因みに、方位を示す例は同じ市内の「中央区東平2の道標」等。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を北に望む
 右後方に東門  左後、宝物館  奥、六時堂左は中門へ
 後、石神堂とある】  奥(南)庚申堂へ】  左(西)西門へ】

写真himg4563 写真himg4547 写真himg4553
【4.道標西面上部 【5.道標西面上部 【6.道標南面上部
 「西右/道頓堀…」  蓮華座下から  「東右/平野…」
 「阿弥陀池 安治川」】  「南右…北左…」】  「お(於)ぐろ…」】

写真himg4566 写真himg4550 写真himg4555
【7.道標西面中部 【8.道標西面中部 【9.道標南面中部
 「道頓堀 木津川」  「…吉堺あまの…」  「平野 藤井寺…」
 「阿弥陀池 安治川」】  「…天満天神…」】  「おぐろ 壷井…」】

写真himg4567 写真himg4552 写真himg4556
【10.道標西面下部 【11.道標西面下部 【12.道標南面下部
 「先祖代々…」  「勝間村酒屋…」  「…明寺 たまで」
 供養が抜けるか】  「…柴屋太兵衛」】  「…古ん多゛上太子」】

写真himg4561 写真himg4611
【13.道標東面拡大 【14.上部を北西に望む
 「天保二辛卯年八月…」  丸いがホゾ穴であろう
 西暦1831年9月】  後石畳辻が元位置か】

写真himg2317
【15.大阪市天王寺区の道標】
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