1.大阪市中央区東平2の道標

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大阪市中央区東平2−1−2 上町筋の上本町5交差点を西に100mの四辻南東部、歩道上に南を正面に建つ
尖頭型角柱 127x31x36p(頂高9p)
N34.669277 E135.518675


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南面
┌―┐┌─――――――――――――┐
│ ││ すぐ 八けんや     │
│南││南無阿弥陀佛   ミち  │
│ ││ 右ハ なら いせ    │
└―┘└―――――――――――――┘

東面
┌―┐┌─――――――――――――┐
│ ││すぐ どう登ん保里    │
│東││右ハ 八けんや   みち │
│ ││左ハ てん王うじ     │
└―┘└―――――――――――――┘
(「登、保、里、王」は変体仮名「と、ほ、り、わ」)
(「じ」は「う」の横に長く書く)

北面
┌―┐┌─――――――――――――┐
│ ││すぐ 天王うじ高野    │
│北││          ミち │
│ ││ミぎ 道頓保り長町    │
└―┘└―――――――――――――┘
(「王、保」は変体仮名「わ、ほ」)
(「じ」は「う」の横に長く書く)

西面
┌―┐┌─――――――――――――┐
│ ││すぐ 玉つくり なら   │
│西││右ハ 天王寺山上  道  │
│ ││左ハ 京ばし 天ま    │
└―┘└―――――――――――――┘
(「ば(むに似る)」は変体仮名「者」に濁点)
(「天王寺山上」で一つとした)


(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、221
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行では25頁))
(先ず、現住所の読み方であるが「東平」で「トウヘイ」と読むらしいが、上記『研究紀要』では「東平野町2」と
 している。平野町と付くものに内平野町等もあり紛らわしいが、昭和42年(1968)年発行の地図で現在地と思わ
 れる所に存在するので、東平は東平野町として良かろう。近世作と思われるので、市立図書館デジタルアーカイブ
 の弘化二年(1845)『弘化改正大坂細見図(大阪古地図集成第14図)』を見ると
 「北平ノ丁三丁メ」辺りに該当しそうである。当辻の南北の筋は細い道に見え、二本西に現在区役所が旧熊野街道
 とする太い道が有る。東西の通りは西へ松屋町筋に突当り、東は現在の味原本町辺りにある池に突当り、南に下り
 小橋(鶴橋)或いは木野(桃谷三)に続いている。
  この状況で、この道標の案内は何処も間違いには成らないのであるが、辻の大きさからみて西90mの熊野街道の
 辻が相応しい様に思うが如何か。
  尚、行先の中で注意点として北面「右、道頓堀長町」を一つとするか、道頓堀と長町(現、日本橋、恵美須町)
 の二ヶ所とするか、西面「玉造」を現在の玉造元町辺りとするか、天保国絵図に描かれる玉造村(現、東成区玉津)
 とするかである。又、西面「天王寺山上」を勝手に「四天王寺」を示すと解釈したがこれが正しいかも疑問である。
  尚、玉造村は国立国会図書館デジタルアーカイブ『天保摂津国絵図』で御城の南東、平野川?より東に見られる。
 同じく、長町は『攝津名所圖會』. [5]のコマ番号12「日本橋」の項に載る。)
(紀年銘が無く表現や石の風化から近世(江戸期)であろうと想像するが、方位を書いた道標は明治に入ってからの
 ものが多い(代表として「茨木市中河原町10の道標」)のではあるが、江戸期にも決して無かった訳では無く、
 方位をを明記した
  「箕面市箕面1の道標」
 同じく、(地蔵)像を持ち古そうな
  「神戸市北区大沢町日西原地蔵堂の道標」
 方位神を用いた
  「茨木市三咲町2の道標」
 北を示す記号を持つ
  「尼崎市上坂部2丁目の道標」 「千」か「十」
  「池田市石橋3札場の道標」  「十」
 等があり参考として頂きたい。
  この道標では、頭頂部の四角錐の各面に大書してある事が最大の特徴であろう。市中の四辻でもあり方位は左程
 重要では無く、案内面に書くと方向指示の文句と煩わしくなる為であろうか。方位を持つ道標の代表格であろう。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を南に望む
 奥(北)上町中学校へ  奥(西)高津宮北へ  奥(南)天王寺高野
 右、上本町5交差点へ】  左、千日前通へ】  右、道頓堀長町】

写真himg3882 写真himg3933 写真himg3943
【4.道標を東に望む 【5.道標南面上部 【6.道標東面上部
 奥(東)玉造奈良  「すぐ 八け…」  「すぐ どう登ん」
 左、京橋天満へは  「南無阿弥…」  「右ハ 八けん」
 楠木通りを西へか】  「右ハなら…」とある】  「左ハ てん王…」】

写真himg3919 写真himg3934 写真himg3944
【7.道標西面上部 【8.道標南面下部 【9.道標東面下部
 「すぐ玉つくり」  「…けんや」  「…どう登ん保里」か
 「右ハ 天王寺山上」  「…弥陀佛…」  「…八けんや…」
 「左ハ 京ばしなら」】  「…ならいせ」とある】  「…てん王うじ」とした】

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【10.道標北面上部 【11.道標北面上部左 【12.道標北面下部
 「すぐ 天王うじ」  この面行先は二行  「天王うじ高野」
 「王」はかなで「わ」  左の疵と重なるが  「道頓保り長町」
 「ミぎ 道頓保…」】  「ミぎ」と読める】  と読んだ】

写真himg3901 写真himg3897 写真himg3907
【13.道標上部を北西に望む 【14.道標頂部を合成 【15.道標下部を合成
 左が南面、右が東面  「南、東、北、西」  南北を除き
 角錐部四面に方位】  方位を示している】  書体を変えて書く】

写真himg2316
【16.大阪市東成区の道標】
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