24.神戸市須磨区昭和の道標6

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神戸市須磨区西須磨 鉄拐山頂北160m、昭和の道標490m北、縦走路上の下畑分岐点の三ツ辻に南を正面に建つ
(地図上では県道21号鉄枴山トンネル直上でもある)
自然石 95x82x32p
N34.648623 E135.099097


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南面
┌─―――――――――――――――――┐
│ 右 高倉山            │
│正面 鉄拐山            │
│ 左 下畑村            │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――――┐
│昭和十一(年三月)         │
│ (神戸市観光課)         │
└――――――――――――――――――┘
(( )部は予想)

西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(昭和十一年は、西暦1936年)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では須磨区13)
(行先等の案内が異なるだけで大概は、「須磨区昭和の道標1」を参照下さい。
 同書に「…村上帝社から北西へ一の谷川を渡り、勢揃いの松を経てここに登り、北方の下畑村へ下る山路は古い道筋
 であったが、…」とあり、生活道路として使われていたとの説明と受け取るが、当道標はあくまでも観光が主目的で
 「左、下畑村」は「須磨区昭和の道標2」の「左、塩屋」と同じく下山ルートを示すことが第一であったと思う。
  又、勢揃い松から当地点へは「昭和の道標5」を経由する事になると思うが、それに「下畑村」はなく「扇の松」
 とあることからもうかがえる。)
「須磨区昭和の道標2」
 「須磨区昭和の道標3」
 「須磨区昭和の道標4」
 「須磨区昭和の道標5」が有ります。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を南西に望む
 左(北西)下畑へ  左(南)鉄拐山へ  左(北)高倉台へ
 右、縦走路高倉台へ】  道標右奥、下畑へ】  右奥、鉄拐山へ】

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【4.道標南面左 【5.道標南面拡大 【6.道標北西面下部
 「左 下畑村」  「右 高倉山」  「昭和十一…」
 と読める】  「左 下畑村」】  神戸市観光課と想像する】

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【7.道標を北に望む 【8.神戸市西部の道標】
 右上小高い部分に
 扇の松が有ったか】
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