播磨85.神戸市北区淡河町淡河の道標(摂津国域では無い)

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神戸市北区淡河町淡河635 国道428号淡河本町交差点南90mの五つ辻の南部に北を正面に建つ
山型板碑 100x38x20
N34.812795 E135.097974


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北面
┌─―――――――――――――――――――┐
│  右 丹生山    同行十…     │
│奉西國三十三所順禮供養 道       │
│  左 山田兵庫            │
└――――――――――――――――――――┘
(同行十人の名があるらしい)

西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│明治十…                │
└――――――――――――――――――――┘
(多分「明治十年一月吉日…」と思う)

南面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊ではbW5)
(同書に「右払川(浦川)沿いに登る丹生山への参道、左は赤坂を経て山田へくだる交通路であった。」とある。)
(摂津国内では無いが丹生山北参道浦川山腹道の起点として載せて置く。「左 山田兵庫」は現在の国道428号に
 相当する道で主要道であるが、国立公文書館『天保播磨国絵図』等を見ると淡河村からではなく、行ノ原村から
 石なげ辻(摂津ではなげ町山)を通り福地に続く朱書き道が見えます。道標の銘に明治とあるので手持ちの明治
 20年地図で確認すると、淡河から太い道(県道以上)が見えるのでこの位置にあって問題はないかと思う。
 尚、「投町山の辻環境センターの道標」文化十四年のものでも「淡河町」を指しており近世から道は通じていた
 事は疑いないでしょう。)
(この道標を右に採り丹生山へ向うと約1.2qで「山田町丹生山出会いの道標」「山田町丹生山馬の背の道標」
 更に「山田町丹生山六丁の道標」に繋がります。)
(丹生山参道に関しては「神戸市丹生山丁石一覧」を参照下さい。)

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【1.道標を南に望む
 左、国道山田へ
 右、川沿いの道へ】

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【2.北区南部の道標】

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【3.丹生山参道概略図】

【参考】
 残念『今昔マップon the web』では明治の地図が切れている。
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