一期一会(平成13年度)                

歌舞伎座、角座、花月などで演じられる演劇。時代は変わっても何時も変わらぬ茶店のセット。
店主、給仕、客らキャストが織り成す色んな会話と演技。行き交う人の喜怒哀楽の人間ドラマ。
こんなドラマを実際に観劇するような日々の生活である。人生は自らが演じる演技ドラマ。
では、これから参詣茶店の『三玉屋』の店先で繰広げられる出会い、一期一会のドラマをどうぞ。

10/18 夫々の想い出
『石切に何十年振りにお参りしました』
『子供の頃、お婆ちゃんに連れられてよく来た』
とか、昔を懐かしみながら脳裏に残る面影を語る人も多い。昔見た石切を老いてまた訪ねる。若かりし頃は何も感じなかった坂道が、今は登り難く自分の老いを知らしめる。
老夫婦が入る。建設省から天下り、会社に勤め今は何もしてない。
懐かしながら『満州事変の頃か、森之宮の学校から歩いて石切に重いリックを背負い軍事行進しに来た』と云う。石切から青春時代の軍事訓練を懐古された。人それぞれ、いろんな過去が有る。
多くの人々の沢山な忘れ得ぬ思い出が残る坂道が、石切には今も残るのである。

毎日がお正月
城山三郎の小説に『毎日が日曜日』というのがある。

朝から一人の老いた男性が入りビールを飲む。
年金で十分食べていけるし、気楽に朝から酒を飲み屠蘇気分。毎日が正月やと言う。
毎日がお正月。他人から見ると羨ましい限りだが。そう言う言葉に自棄というか、虚無感が。
”酒”は正月の目出度い”酒”でなく、空虚な時間を紛わす為の”酒”
老齢化時代の一つの課題である。

9/18 或る老人
アメリカでの同時多発テロから1週間経ったそんな或る日、一人の老人が入ってきた。
先週知らない人に世話になった。それがあり難くどうしてもお礼を言いたく、二十世紀梨を持って捜して来たが、
分からず疲れて当店で休んだ。力に成ってやりたかったが相手の名前も住所も分からんと言う。これでは無理だ。
原爆で腰を悪くしたらしく、杖を突いており89歳だという。少し痴呆もあるのか不明なことも多々あった。
手帳を持っておられ見せて貰う。この手帳には『タバコ1ケカツタ』、『2348ホアルイタ』、『アメデソトヘデズ』の3フレーズのみが所々に書いてあるだけだった。空白の日々が多い手帳。こんな事しか書く事が無い老後にとって、色々喋ったり、聞いてやることが老人には大きな楽しみらしい。手帳の片隅に名刺。そこには『東大阪原爆被害者の会』とあった。
NY世界貿易センタービル爆破の惨事が各国を震撼させ、米国を悲嘆の渕に陥れている。
広島ではこの悲しみの何十倍が。己が傷つき初めて他人の痛みが分かる。
悲しみを慈悲の心で。今も残る原爆の苦悶。米国にも悟って欲しい何かが有るのを感じる今日である。

9/4  マジっすか 
『ハリガネロック』という二人組みの吉本の若いタレントと4〜5名のスタッフが参道にビデオ撮影に来た。
当店の前でも道行く老女に面白おかしくインタビューしていた。『ハリガネロック』の松口君と大上君、どちらがお年寄りに人気があるか? 好かれるかをを二人が勝負するという番組。結果は大口君5/松口君4で大口君5の勝ち。芸人より一般人の方の喋りが面白かったのだ。 
確かに参道を行き交う人はおばちゃんやおばあさんが多い。きっとディレクタの頭にも【年寄り】、【女性】という2つのキーワードから、【石切参道】が出たのだろう。阪神高速もでき収録に便利なスポット。石切はそんなTVの安易な撮影場所となっているのか。
全然彼らを知らなかったので、金髪頭の松口君に『兄ちゃんはタレントさんですか』 
『何かTV出たはんのですか?』と尋ねる。『有名になったら、自店のうどん食べに来てや』と言って別れた。

8/30 姪の縁談
残暑厳しい日、かき氷の『いちご』を食べに入った客。福井から車で占を観てもらいに来たという。
姉の子、姪がもうすぐ40歳になる。姪が子供の頃、よく世話をし可愛がったので気になって仕方が無い。
何回も見合いをしたが上手く行かない。今回の相手はどうか占を観てもらいたい、どこか良く観てくれるところを
探しているという。
結婚する本人はあまり気に留めてないが、周りの人は心配しているのだ。
本人の自由意思の少なかった世代の母親、お祖母さん、伯母さん達が。
早く良縁に恵まれないか、いつ頃結婚できるか、今回の結婚相手はどうかとか。

7/25  秀吉ご来店

今日、土用の丑の日。うなぎを食べる日。
最高気温37.2℃の猛暑の中、参道を上ってきた『秀吉』と部下5人が当店に入っ
てきた。かき氷『いちご』をご注文。
『秀吉』さんはスーツ姿。部下は鎧を纏う。参議院選挙戦線の三玉屋での一時休憩
だ。
昨年の大阪府知事選挙にも『秀吉』さんは出馬。そして石切参道を練り歩き、握手を
したが、今回は握手どころか話もした。『秀吉』さんは『ところてん』も食べてくれ
た。
ここで『秀吉』さんを紹介すると、青森の大金持ち。土建か運送業をやっていて、お
城を建てそこには黄金の間もあること等TVで見た。東京の知事選にも出馬していた
し、今回も数日前にプロペラ飛行機で空から『秀吉』を宣伝していた。津軽方便丸出
しで、少し勝新太郎に似ている。
貰った『秀吉』の名刺が金張りで豪華絢爛、〔幸運の太閤カード〕と印刷されている
のでもっと下さいと云って沢山貰った。
そこには、自由連合公認、今太閤、羽柴秀吉、情熱全開等記載されている。
『あと3日、頑張って下さい。応援してます』と握手して分かれる。

金張り名刺
で、選挙人
名簿の写真
を囲む。
幼名を”木下藤吉郎”、信長に仕えて”羽柴秀吉”と名乗り天下統一。1583年大阪城築城。後に関白となった豊臣秀吉。

その”太閤秀吉”の生まれ変わりとして、大阪府知事や参議院選挙に出馬している”羽柴誠三秀吉”が、”秀吉”と名乗り兜をかぶり現れたのである。


7/12 もう一つのUSJ

10CH 読売テレビ 『あさイチ!』という番組で 朝6.10頃から『もう一つのUSJに潜入』という事で
石切参道に多数軒を並べる占にスポットを当て放送された。このVTRは先日の日曜日、4名のスタッフが参道をカメラとマイクを持って行ったり来たりして撮影していた。参拝客にもマイクを向けていた。
その内容から客より聞いた占店選びの ポイント 1 複数のお店に行く  (一軒では信用できないから)
                              2 フィーリング
                              3 うわさ     (よく当たると言ううわさ)

読売テレビ
 あさイチ!

頂いた記念品

この石切が『もう一つのUSJ』と言われている。
それは   U・・・・ URANAI(占い)
       S・・・・  STREET(ストリート)
       J・・・・  JAPAN(ジャパン)   であるからだと説明。
このUSJのフレーズは当HPに端を発している。
当HPで占を紹介した時に面白半分にネーミングしたのだ。
それをWEB上でTVディレクターが見て電話をして尋ねて来た。USJを見に行く
いろいろ世話になったと言い、VTR撮影時上記の記念品をくれ、缶ジュースを当店で4本買ってくれた。
自分の名付けたUSJがTV放送されていることに感動して、『俺が考えたのや』と心中で叫んだ。

7/4 おはよう朝日
前日(3日)TV 『おはよう朝日』の人から電話があり、かき氷の撮影をさせて欲
しいと言ってきた。
俺が居なかった時で、2回いい返事をしなかったらしい。3回目にオレが電話に出てOK。
店の宣伝になるし、向こうから映さしてくれと言ってきているのだ。
昔風の機械で氷をかいている雰囲気がいいらしい。インターネットで見たとか言う。
明日行きますので宜しくと言うことで、今日9時前に来て10時近くまで色々映した。

デェレくター、カメラ、マイク、照明それにタレント(女の子)が来た。
氷のかいている所、氷のかく音、旗などを撮影。
タレントが店の前に座り、いちごを食べながら、
『おいしい 頭にキィーンとくる』とか『夏はこれね、今日はこんなちょっと変わっ
たお店を紹介いたします』など喋る。
撮影風景を見に行く

7/2 献牛祭
時代絵巻の復活 石切さん献牛祭
昨年は皇太后の死去により取り止められた献牛祭であるが、今年は執行された。
マイクから流れる雅楽。チンドン屋を先頭に、耕運機と五頭の牛頭がゆっくり坂道を上る。
牛頭に乗った神官が見物人に紙ふぶきをまき散らす。
白馬に跨った巫女さん、五穀豊穣、家内安全の幟。連牛像。
こんなパレードを一度見に来てください。見に行く
あまり知られてないのか、今年は見物人は少なかった。
竹に注がれた神酒や団扇などが振舞われる。たまたま参拝した人はこのパレードを見物でき「良かったは」と感激されていた。

6/30 紫陽花を吊るす
当店の庭には紫陽花が咲き乱れている。70を過ぎたと思える老女が入り食事しながら言う。
紫陽花を吊るしましたかと言う。6/26に紫陽花を半紙に包み、紅白の熨斗紐で括りトイレに逆さまに吊るす。
来年まで吊るしておく、婦人の下の病に良いと言う言い伝えがあるので、毎年やっていると言う。
この人の近所では皆これをやっているらしい。私はこんな言い伝え風習があるのを初めて聞いたのだが。
そう言えば正月に門松を立て、節分には柊の木に鰯の頭を刺し門前に、節句には菖蒲の葉を屋根にとか
花木と暮らしが密接に関っている。しかし、現在はこんな季節や暮らしのリズムが軽薄になって来ている。
  ヤツデの葉
数日後、ある母と息子が店に入る。店の庭にあるヤツデの葉を数える。諦めかけようとした時、八つの手を持ったヤツデの葉を見つけた。欲しいと言う。
息子の就職が上手くいかない。この『八の手を持つヤツデ』をお守りとする。探していたのだという。
漸く見つけた『ヤツデ』を喜んで謝礼も置いて帰られた。昨年も誰かヤツデを探しに来た人がいた。
民間信仰、迷信かも知れないが、このような言い伝えを信じる人もかなり居るのである。
『信ずるものは救われる』

6/7  NTV(日テレ)
梅雨の鬱陶しい雨が止んだ朝。10人近くのテレビ関係者が参道を下る。
当店の関東煮の前に立ち止まる。関東煮の前に並べてあった『にぬき』をパクツキ色々聞いてきた。
テレビで見たことがある顔、その人は今ブレイク中の『坂本ちゃん』。学生服を着た『日大文理』の字を染め抜いた鉢巻。カメラ、マイクや照明の人など10人近く東京から撮影に来たという。当店を撮影した後、隣の占い師の店に入った。
坂本ちゃんと女性(矢部美穂)が観てもらい、その状況が録画された。坂本ちゃん『僕は結婚できるでしょうか』
占い師『一生出来ません』。
記念品を置いていった。
関東方面で日曜スペシャルとかで8/12放映されるらしい。
それにしてもよくぞ東京から来たもんだ。
その晩、『とんねるずのみなさんのおかげでした』の食わず嫌いで 坂本ちゃんvs今井絵里子に出演していた。
TVでは18歳大学生と自称してたが、鑑定ではS41年生まれと言う、35歳らしい。


NTVから貰った
ボールペンの記念品

坂本ちゃんにカメラを向けると
ホーズを撮ってくれた。

占い鑑定中の録画風景
マイク、照明、カメラ
それらを取り囲む関係者
カメラを向けると制止されたが、
強引に写した。


5/20  広島テレビ

当店の馴染み客である近在の老婆、近所のカラオケ屋でテレビ撮影があるので行った。前々からTV撮影があるので来てくれとネゴが有ったらしい。この老婆は一人暮らし。カラオケが好き。

TV局は1局が放映すると、すぐ他局も同じように撮影に来る。
(昔は探偵ナイトスクープを始めとして数多く撮影に来た地獄爺。続いて占いの街として、そして現在は老人の集まるカラオケが、映像の対象となっているのである。)
身近な信仰の町で見つけた、カラオケで安らぎと憩いをえる老女達として、昨年ABC,NHKとで、TV紹介されているのである。
同じカラオケ屋で今回も撮影があった。この録画は広島テレビで6月23日録画放映された後、関西TVでも放映とか。どのようなテーマで放映されるのか。急な坂道の石切参道を毎日沢山の老人が通る。70、80歳、時には90歳を超えた人も。
神社にお参りして御利益を頂き、カラオケで楽しく歌う老女達。TV放映が楽しみ。

5/10  

石切参道にはいろんなものが売っている。
中年の女性。参道で赤い下着を買ってきたと言う。元気が出るんや、最近は銭湯でも赤い下着を着けた人をよく見かける、と言う。
そう言えば赤いという形容詞がついた言葉がいろいろあるなァ。
還暦を迎えると着る赤いチャンチャンコ
昔の人がよくしていたふん(褌)
主の好きな烏帽子
坊ちゃんのシャツ
赤い殺意。。赤ひげ。赤い河。。赤鬼。赤の広場。赤毛のアン。赤ヘル軍団。赤い羽根。赤門。赤い絨毯。
赤いランプの終列車。赤い花ならまんじゅしゃげ。赤い鼻緒のじょじょ履いて。赤い靴履いてた女の子。
赤い夕日が校舎を染めて。
TVでは『母の日』に赤い下着を贈るのが最近流行っているとか報じていた。

最近日差しがきつくなって来た。石切参道には日差しを遮るアーケイドや木々が無い。
参道を行き交う多くの女性は日傘を差している。その日傘の色が黒いのが目につく。夏は白色が光を反射して良いと思っていたが。今年は黒のパラソルが流行か。昨年6月に放映されたNHK『ためしてガッテン』によると

最近の流行をに見た。参道を行き交う参拝人に見た。

4/11  ぜんざい

老婦人二人が入る。カリフォルニアに50年以上住んでいるという。日本に来た時は、日本でしか食べられないものを食べたいと言う。そして、ぜんざいを食べた。
そう言えば、今年の冬にロスに住んでいる若い夫婦(男性は米人、女性は日本人)もぜんざいを食べに入った。
日本的なものとしては、普通考えたら寿司、てんぷら、すき焼きなどであろうが、このような日本食は勿論、おにぎり、ラーメン等もグローバル化した日本レストランで諸外国でも食べられる。
しかし、焼き餅の入ったぜんざいは外国では食べにくいのだろうか。
日本的な食べ物⇒それはぜんざい?

 

2/5   無銭飲食

節分、立春も済み、少し寒さがゆるんだ或る日の午後4時ごろ、一人の男性が店に入る。関東煮と肉うどんを注文した。黙々と食べた。一滴の汁も残さず綺麗に食べた。勘定は950円。
しかし、お金が無い。

『今、家内が取りに帰ってる。もうすぐここに来ると言う。』男はそう言い乍じっと椅子に座って待っていた。
当方もそれを信じ相手をせず待っていた。30分、一時間待っても誰も来ない。しかし、何かおかしい。
『大将、どこから来たのや。どうして来たのや。』など少し話し掛けた。

野球帽からはみ出した髪は白く、冬なのにコートも羽織っていない。言うことが辻褄が合わない。
5時を過ぎ日も暮れ始め辺りは暗くなってきた。閉店であるが、こうしてじっと居座られると困る。
身元を聞くが解らん。A5のノートを持っていたので、見せて貰う。

風呂に入られ喜ばれた。ゲームをして遊ばれたなど、介護の記録やコメントがそのノートに書かれている。月、水、金に介護を受けているのだろう、家族との連絡帳みたいなものである。そこに『Nの里』のアンケート用紙が挟んであった。

これを手懸りに市役所に電話し、『Nの里』を調べ電話する。ノートに書いてあった名前を言い、事情経過を説明すると、迎えに来られた。介護センターの人が言うには、デイサービスの介護を受け、バスで送り帰しに行こうとした時に居なくなったらしい。老人は隣町の介護センター『Nの里』から一人で歩いて石切まで来て、そして、お腹が空き当店に入ったのだ。徘徊老人なのだ。

恍惚の人。アルツハイマー。店をしていると、これに近い人を沢山見かける。
これからこのような人が増加の一途を辿るのだろう。
厚生労働省の資料では、 2000年⇒痴呆老人数 156万人
                2010年⇒   〃    226万人
                2020年⇒   〃    292万人

1/28    HP訪問者の客

若い男女五六人が入る。
HPを見たと言う。HPを見て当店に入ると決めて来たと言われた。
ありがたい。HPの宣伝効果があったのだ。HPを載せて約1年弱になるが、このように当店に来て頂いたのは初めてである。全然知らない人どおしがHPで接点を持ち実際顔を会わし話す。
HPがきっかけになり石切に来た。そして『三玉屋』で食事。
こんな小さな店にもIT革命の流れがじわじわ押し寄せてきたのでしょうか。

TOP PAGEに戻る