南海電鉄の北島支線は加太軽便鉄道の開設した時の路線だったが、台風により紀ノ川橋梁が使用不能となり営業休止を経て軽量化された車両で再開されたが、1953年(昭和28年)7月の大雨による紀の川橋梁破損のため休止、1955年(昭和30年)2月15日に紀の川橋梁部分を廃止、 東松江と北島を結ぶ1.8Kmの盲腸線となって細々と単行電車が往復していたが、国道バイパス開通の障害となるため1966年(昭和41年)11月末で廃止されました。

南海北島支線

 河西橋  河西橋
 河西橋  河西橋

加太軽便鉄道紀ノ川橋梁 河西橋

北島支線の歴史

加太支線は加太軽便鉄道により明治45年6月16日加太-北島間を開通し、 大正3年3月31日和歌山口(現・和歌山市駅構内検車区の建物付近)まで開通しました。
昭和17年3月14日に加太電鉄は南海に合併され加太線となりました。
昭和19年10月1日に住友金属の貨物線用として紀ノ川橋梁が貨物輸送に耐えられない為、東松江-紀ノ川間の松江支線が開通、貨物営業を行いました。
昭和24年10月1日に松江支線は電化、昭和25年7月15日旅客営業を開始、松江支線を取り込み紀ノ川-加太間9.6kmを加太支線とし、東松江-北島間1.8kmを北島支線と改称した。
昭和25年のジェーン台風の水害で紀ノ川橋梁が破損し営業休止を経て、電動機を減らし軽量化した単行電車で運用していたが、昭和28年7月18日の大雨のため紀の川橋梁が使用不能となり休止、復旧することなく昭和30年2月15日に和歌山市-北島間を廃止、 昭和41年11月30日をもって廃止されました。
北島駅の周囲には人家も少なく、蓮池に囲まれた屋根付き1面1両分のホームを有する寂れた無人駅で、廃止直前には1031形の単行列車が東松江-島橋-北島間を結んでおりました。

北島支線の廃線跡

北島支線の廃線跡を東松江駅からたどってみました。

土入川鉄橋

土入川に架かる元北島支線鉄橋の歩道

北島支線は小さく見える加太線東松江駅より貨物線=松江支線(現在の加太線)と並んで土入川(どうにゅうがわ)の鉄橋を渡り、 少し進むと島橋駅があったが旧駅周辺には人家が建ち痕跡が残っておりません。
土入川の鉄橋は現在も残っており人車橋として島橋地区から東松江駅への近道として住民に利用されています
東松江駅には昭和59年に貨物が廃止されるまでは住友金属和歌山製鉄所への専用線があって、 国鉄DE10が和歌山市駅まで牽引してきた貨車を南海の凸形の電気機関車が側面に南海と書かれた緩急車ワブ501形を従え 到着した貨車を住友金属のディーゼル機関車が迎えに来ていました。

土入川に架かる鉄橋

土入川に架かる鉄橋と歩道橋

ここから住友金属構内まではディーゼル機関車が貨物を牽引していましたが、今はこの線路も撤去され道路となっているが、 まだ住友金属の和歌山製鉄所内ではディーゼル機関車が活躍しており、湊御前松の紀ノ川に架かる河口大橋から見ることが出来ます。
手前の赤茶色の鉄の橋脚が旧北島支線の鉄橋でした。

国道26号線歩道橋より西側の島橋駅方向

国道26号線歩道橋より西側の島橋駅方向

鉄橋を過ぎ道路と交差した付近に島橋駅がありましたが、駅周辺にはたくさんの人家が建ち、駅の跡や線路の跡も消滅しておりました。
島橋駅から北島方向に行くと線路跡が道路となっているが廃線後30年あまり経過しているにもかかわらず、 この道路向きに玄関のある家はまだ少なく、ほとんどの家は道路に背中を向けて建てられています。
この写真は国道26号線狐島(きつねじま)に架かる歩道橋から島橋方向を撮影した物ですが、 廃線跡はほぼ直線でこの先緩く右カーブし人家に突きあたり廃線跡の道路が三叉路になっており、この付近に島橋駅があった様です。
北島支線が廃止となった理由は紀ノ川橋梁(現在の河西橋)が破損したため盲腸線となり乗客数が激減したのが主因ですが、 国道26号線のバイパスが建設され北島支線と交差する事になりこれを契機に廃線に至ったようです。

国道26号線歩道橋から北島方面

国道26号線歩道橋から北島方面

国道26号線の歩道橋から北島方面を撮影した写真です、西側と異なって線路跡道路の道幅が広く車の通行も多くにぎわっています。
この道路を南下した県道との三叉路付近に北島駅が有り、この道路を和歌山市駅から旧国道の北島橋を渡り、 北島駅跡付近からからこの道路を通り国道26号線を渡り島橋駅付近まで行く和歌山バスの島橋線が運行されています。
北島駅周辺は廃線当時の昭和41年(1966)は一面蓮池で周囲に人家はなく、単行の電車が折り返すだけの屋根付きでは有ったが木造の無人駅で、 白熱灯の電灯が一つプラットホームに上る階段の上に付いただけの無人駅で、到着する電車の照明も白熱灯だった記憶があります。
道路の延長上に見える茶色の大きな建物と鉄塔が南海和歌山市駅で旧・加太線はほぼ直線に進んでいましたが、 北島駅付近の三叉路から紀ノ川橋梁までの間には倉庫が建設されており廃線跡は消滅しています。

紀ノ川北岸から撮影した河西橋

"紀ノ川北岸から撮影した河西橋

紀ノ川に架かる加太軽便鉄道紀ノ川橋梁の跡は和歌山市が譲り受け河西橋(かせいばし)となっています。
加太軽便鉄道が大正3年3月31日和歌山口(現・和歌山市駅構内)まで開通の際建設した橋梁ですが、 加太軽便は明治45年6月16日には加太から北島まで開通していたが、この架橋のため市内までの乗り入れに手間取ったようです。
その後も強風のため蒸気機関車が牽引の客車が転覆し機関車ごと紀ノ川に落下したり、終戦前には住友金属向けの貨物輸送に耐えられないため 東松江-南海紀ノ川間の松江支線が昭和19年10月1日に建設され貨物営業が行われました。

河西橋の傾いた橋脚

河西橋の傾いた橋脚

昭和25年7月15日貨物線だった松江支線が旅客営業を始め、北島経由の列車は紀ノ川橋梁の老朽化のため電車の電動機を減らし軽量化し単行で 東松江-和歌山市駅間を結んでいたが、昭和28年の水害で橋梁が被害を受け昭和30年2月15日に和歌山市-北島間を廃止しました。
現在の河西橋の姿ですが橋脚を観察すると何回も水害の被害を受けたためコンクリーの橋脚を新設したり、 古い傾いた石造り橋脚を補強したりして苦労の跡が伺えます。

河西橋から市駅方向

河西橋から和歌山市駅方向

私が小学生の頃でしたが河西橋が台風通過の後に紀ノ川増水のため突如橋脚が流され橋が崩壊し、 通行中の人が紀ノ川に落下し行方不明となった事件もありました。
今も河西橋は自動車が通行できず二輪と軽車両と人のみが通行出来るようになっています。
紀ノ川橋梁は緩やかにカーブしながら紀ノ川を渡るとすぐに終点和歌山口に到着し、 和歌山口駅跡は和歌山市駅構内の北側にあり今は和歌山検車区が建っている場所のようです。

河西橋

紀ノ川南岸から撮影した河西橋

昭和30年2月15日に和歌山市-北島間を廃止し、紀ノ川-加太間9.6kmを加太支線と改称し残され、 支線の支線となる盲腸線の北島支線もついに昭和41年11月30日をもって廃止されました。
30数年ぶりに河西橋を渡りましたが夕刻だったので人通りは案外多く、市内と北島地区を結ぶ住民とって便利な橋のようでした。
以前は自転車で渡るのが怖かったのですが、現在は欄干が高くなっているためかあまり恐怖感は有りませんでしたが、 夜間や強風の日に通行するには少し怖い感じがします。