言葉ん天才

 えっとむかぁしじゃなかばってん、佐伊津んどこじゃいろん娘ん 紡績ぃ行って半月もたたん内ぃ婆さんの死ないたそうですたい。
 家んしん大阪ん娘ぇ電報打たいたりゃ、びっくりして戻って来たそうですたい。
 良か洋服ども着て、ハイヒールどもへぇて、皮んハンドバッグども持って、吾が家(え)ぇ入(へぇ)って来るなり 「わての大好きなお婆はん、亡くなったんやて。
うち、ほんまによう言わんわ。
うちが大阪に行く時はえらい元気で、色んなこと教えてくれはったのに、ほんま残念やわ」て大阪弁で言い言い泣(ね)ぇて、 うう騒動じゃったそうですたい。
 かかさんの「わりゃ、あいてぇ、まだ半月しかならんてぇ、大阪の言葉じゃいろう、何じゃいろう、えらい上手になればなったもんない」て言わいたりゃ「おかあはん、うち何や、佐伊津の言葉で話そう思うても、それがなかなか出てきよりへんのや。
おかぁはん、聞き難うおますやろけどどうぞ堪忍しておくれやしゃ」て言うて二・三日おったとん、朝から晩まで大阪弁でじゃべりまくって、はってぇたそうですたい。
 西法寺んとん七日詣りん法寺ぃで、ほん話しば聞いて「佐伊津ん言葉はなかなかとれんとじゃいとん、余所に嫁げぇ行かいたしも死ぬまで取れんしもおらす。
そりゃ、言葉ん天才じゃなかどうかい」て言わしたそうですたい。
 ほりから西法寺んしん「ひょっとすれば言葉ん天才かもしれんけん、英語でも勉強さすれば、英語ん名人になるかも知れん」て思うて、中学校に行かしたついでぇ中学校の先生にほん娘んこつば聞いてみらしたりゃ、英語はいっちょもでけんで、どべばっかりじゃったそうですたい。
 ほれぇで、西法寺んとん「えぇ、ほんなら、大阪弁の天才ばい」て言わしたそうですたい。