5.神戸市灘区篠原南町1の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
神戸市灘区篠原南町1丁目1−2 東西の道と南北の道が交わる四辻の北西部に南を正面に建つ
(市立六甲小学校の南西交差点の北西部、祠内にある。旧都賀村の北東部の辻)
自然石船底型 55x39x20p(龕部16x17x-1p)
N34.716798 E135.233267


写真cimg0174

南面
┌─―――――――――――――――――┐
│    右             │
│(座像)一王山           │
│                  │
└――――――――――――――――――┘

その他面
┌─―――――――――――――――――┐
│(不明)              │
└――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では灘区11)
(同書では「灘区一王山町12の道標」と同じとするが、異なっていると思う。詳細はそちら参照。
 参考、当道標龕部16x17x-1p、14x14x1p、頭部5x4p、他方龕部19x16x-1p、像部15x14.5x1p、頭部5x5p。)
(「一王山」は一王山十善寺を示すものか。現在の灘区には一王山町が存在する。これを明治の地図で見ると南から
 来た場合、この辻を右(東)に折れ、八幡、高羽、西平野、十善寺と最短の道が見え、これを案内すると思える。
 この事から元の位置のままであろうとするが、道路拡幅による近接移設は免れないであろう。尚、東西の道は市道
 坂口石屋川線(水道筋)と呼ぶ昔からの道らしいが「坂口」が何処か知らない。)
(寺の本尊が十一面千手観音菩薩とあり、座像は観音像であろうか、祠内にも関わらずかなり摩耗している。自然石
 としたが、かなり手が加わっており、全体としては船底型の地蔵像に近い。背面、側面は手も入れられない程隙間
 がなく、セメントの狭い祠で読めないが、収められたのは最近では無いかと思う。)
(一王山十善寺を案内する道標として、現存する7基の中で最も遠く(1.9km)にあると思われる。引き合いによく
 出る蜀山人の「革令紀行」に「一王山小(十)善寺道、川上(十脱か)八丁」とする石表が一時期石屋川の東に残
 っていたとしてもほぼこれと距離的には等しく思われる。摩耶山などと比べると案内する距離はやはり近いか。)
(「一王山」を案内する七基の道標は
 1.「灘区十善寺山門東下の道標」一王山のみ案内
 2.「灘区一王山町12の道標」一王山のみ案内
 3.「灘区一王山町8の道標」
 4.「灘区寺口町1の道標」一王山のみ案内
 5.「灘区寺口町2の道標」
 6.「当道標」一王山のみ案内
 7.「灘区六甲台町5の道標」一王山のみ案内
 である。)

写真cimg0176 写真gimg8019 写真gimg8022
【1.道標を北に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を東に望む
 左奥(北)神戸大学へ  左南西角は春日神社  左後、市立六甲小学校
 祠内に当道標】  右祠内に当道標】  東西は坂口石屋川線】

写真gimg8023 写真gimg8024 写真gimg8028
【4.道標の南面拡大 【5.道標南面上部 【6.道標の上部を見下ろす
 「右一王山」は  観音像かも  下が南面(正面)
 二行に書く】  しれない】  奥行きは20p】

写真gimg8020 写真gimg8025 写真gimg7881
【7.道標を北に望む 【8.道標南面中部 【9.よく似ているとする
 左(西)水道筋へ  「右一王山」は  一王山町12の道標を
 最も奥が当道標】  一王山十善寺か】  北に望む】

写真gimg8021 写真gimg8031
【10.道標を南に望む 【11.道標南面下部
 左奥にも小さな  底部は高さ7cm
 縁結地蔵堂がある】  3p弧状に膨らむ】

写真gimg6511
【12.神戸市東部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ