17.神戸市灘区一王山町8の道標

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神戸市灘区一王山町8−6 県道95号高羽交差点北160mの三叉路北部に南を正面に建つ
自然石 85x56x24p(龕部26x28x-3p)
N34.725753 E135.239741


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南面
┌─―――――――――――――――――┐
│    右 一王山         │
│(座像)      ミち      │
│    左 ありま三田       │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
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│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では灘区3)
(特別の根拠なく明治以前の建立であろうとし、「右一王山」は十善寺を指すとして、明治44年発行の地図を見る
 と。当地に辻どころか道も無く移設されたのは間違いない所であろう。
 元位置をその地図で検討してみる。石屋川沿いに登って来た道はこの辺りで山裾に突当り「左有馬三田」へは土橋
 (現六甲ケーブル下駅)に続くのではあるが、川筋を離れ一度西に向かい神大のある尾根筋を辿っている。(現在
 (2020)では寺口町11辺りで行止り。)十善寺はこの道から分かれると考えると二ヶ所の候補(辻)が見つかる。
 一点は、現地点から南西70mの当時の三ツ辻
N34.725196 E135.239381
 灘区一王山町3−27辺り(現在、辻は南20mに移動か)、こちらの方が第二候補より人通りは多そうである。
 二点目候補は、その西20mの
N34.725098 E135.239104
 灘区一王山町3−6の三ツ辻(南は八幡、都賀方面からの道)辺りと思われる。
 尚、この道標と「寺口町1の道標」「寺口町2の道標」の三基は元々同一場所にあったとする資料があるが、明治
 44年から昭和22年迄の地図を見ると頻繁に道筋が変わっているようで、其の度に離散集合があったと想像出来
 どの時期を指しているのかは分からない。)
(座像は、寺の本尊が十一面千手観音菩薩とあり、観音像であろうか。
 龕部26x28x-3p、像部22x21x2p、頭部5.5x6pと七基の内最も大きい。)
(七基の道標は
 1.「灘区十善寺山門東下の道標」一王山のみ案内
 2.「灘区一王山町12の道標」一王山のみ案内
 3.「当道標」
 4.「灘区寺口町1の道標」一王山のみ案内
 5.「灘区寺口町2の道標」
 6.「灘区篠原南町1の道標」一王山のみ案内
 7.「灘区六甲台町5の道標」一王山のみ案内
 である。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を南に望む
 白看板の前当道標  右(北)十善寺へ  奥信号は高羽交差点
 左、六甲ケーブル下へ】  右は石屋川】  左(北)十善寺へ】

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【4.道標南面拡大 【5.道標南面上部 【6.道標南面下部
 を北西に望む  上部は欠損  「左ありま三田」は
 左下に当道標】  像は六基中最大】  元は西を示したか】

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【7.神戸市東部の道標】
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