16.神戸市灘区寺口町2の道標

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神戸市灘区寺口町2−5 県道95号高羽交差点の西40mの四辻を北に50mの四辻北部に南を正面に建つ
自然石 90x58x30p(龕部24x22x-4p)
N34.724569 E135.239765


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南面
┌─―――――――――――――――――┐
│右 一王山             │
│      道           │
│左 ありま             │
│  三田              │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――――┐
│ 十二月十五日           │
│  七月廿五日           │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(不明)              │
└――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊には記載なし)
(「右一王山」は十善寺としてよいであろう。左の行き先にも問題はなく、この辺りからなら唐櫃道を示すものと考
 えられる。
  「右一王山」への道を手掛かりとして元位置を検討してみる。
 明治44年発行の地図で案内に相応しい地点として二ヶ所見える。
 一点は現地点より南50mの山麓線の四辻の
N34.724029 E135.239807
 辺りで、この場合は「右一王山」は高羽交差点に出て住田橋で石屋川を渡り十善寺を示すが、他に似た道標二基も
 現地に同居していたとする資料もあり、その内の一基が南東の交差点に移設された事を考えると、南からの移設と
 はし難く距離も少し(10m程度)長くなるかと思われる。
 よって、もう一点。北の候補地を見ると、現地より90m北の三ツ辻
N34.725098 E135.239104
 灘区一王山町3−6の南辺りと思われるが、現在では辻の形が変わり「右一王山」が示していた北東への道が無く
 なり、代わりに南東へ下る道と成っている。
 大正12年測図の地図では上記の10m西の三ツ辻が候補となり、それ以降は現在位置に置かなければ「右一王山」
 が機能しない。根拠は無いが大正よりは古いとして、上記緯度で示した地点としたい。
  尚、有馬、三田への道は現在(2020)では灘区寺口町11−7にあるマンションから西が途切れるが神大のある
 尾根筋を進み土橋(六甲ケーブル下)から前ヶ辻谷、唐櫃に繋がっていた様である。)
(座像は、寺の本尊が十一面千手観音菩薩とあり、観音像であろうか。右上部が欠けているようである。
 龕部24x22x-4p、像部15x17x4p、頭部5x5pと二番目に大きいと思われる。)
(北面に月日が二つあるのは「灘区十善寺山門東下の道標」と同様、年が入っていない理由は不明。)
(「一王山」を案内する七基の道標は
 1.「灘区十善寺山門東下の道標」一王山のみ案内
 2.「灘区一王山町12の道標」一王山のみ案内
 3.「灘区一王山町8の道標」
 4.「灘区寺口町1の道標」一王山のみ案内
 5.「当道標」
 6.「灘区篠原南町1の道標」一王山のみ案内
 7.「灘区六甲台町5の道標」一王山のみ案内
 である。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を南東に望む
 左奥(北西)神大  奥(北東)一王寺へ  左白壁に隠れ当道標
 方面は行止りになる】  今は30m先は県道】  右奥(南)山麓線へ】

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【4.道標を南西に望む 【5.道標南面上部 【6.道標北面上部
 奥(南西)高羽  「右一王山」が  正面裏側になる
 小学校方面へ】  案内の主目的か】  上部に年がない】

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【7.道標西面下部 【8.道標南面下部 【9.道標北面下部
 正面左側になる  「右一王山」が  「十二月…」と
 上部も文字は無い】  案内の主目的か】  「七月…」と読める】

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【10.神戸市東部の道標】
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