18.神戸市灘区一王山町12の道標

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神戸市灘区一王山町12−35 県道95号高羽交差点から北150mで石屋川沿いに進み上高羽橋北詰めの三叉路北部に南を正面に建つ
自然石角柱 60x23x22p(龕部19x16x-1p)
N34.727232 E135.24016


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南面
┌─―――――――――――――――――┐
│(座像)左 一王山         │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――――┐
│…                 │
│  六月朔日            │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では灘区2)
(同書に「灘区篠原南町1の道標」と同型、施主、石工は同一人であろうとしているが、その道標は石の形が異なり
 地蔵像などにある船底扁平型に近く、像も似ていず、筆跡も「右、左」字の違いはあるが、横線のうねりを見ると
 同一人とは思えず、更に摩耗の度合いが祠内にあるにも関わらず進んでいる、等から同一とは考えにくい。
 参考、当道標龕部19x16x-1p、像部15x14.5x1p、頭部5x5p、他方龕部16x17x-1p、14x14x1p、頭部5x4p。)
(北面の紀年と思われる部分に年号が見えないが、「六月…」の右上に「四、日、口」様なものが見え元はあったと
 思う。「朔日」とは「一日」でこの表現は「寛文九年北村道標伊丹市立博物館収蔵」にあるようだ。)
(「左一王山」は十善寺。後ろに立派な「一王山十善寺左参道」石標(平成二(1990)年寄贈)が有るため、こちら
 をその後に建てるとは考えにくく、元より此方が建っていたとするなら、移設はないと出来る。)
(座像は、寺の本尊が十一面千手観音菩薩とあり、観音像であろうか。)
(「一王山」を案内する七基の道標は
 1.「灘区十善寺山門東下の道標」一王山のみ案内
 2.「当道標」一王山のみ案内
 3.「灘区一王山町8の道標」
 4.「灘区寺口町1の道標」一王山のみ案内
 5.「灘区寺口町2の道標」
 6.「灘区篠原南町1の道標」一王山のみ案内
 7.「灘区六甲台町5の道標」一王山のみ案内
 である。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を北に望む
 背後も石碑は参道  右奥、高羽交差点へ  左は参道、右車道
 一番手前当道標】  左に上高羽橋】  参道途中から階段】

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【4.道標上部を北に望む 【5.道標北上面拡大 【6.道標を北に望む
 頭頂部は摩耗して  左下「六」の  賽銭箱に邪魔され
 おり欠損はないか】  右上は年号か】  下部が見えない】

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【7.道標南面上拡大 【8.道標北面中拡大 【9.よく似ているとする
 奥(西)水道筋へ  「六月朔日」は  篠原南町の道標を
 左、烏帽子町へ】  6月1日のこと】  北に望む】

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【10.道標南面下拡大 【11.道標北面下拡大
 「左一王」の下に  何かありそうだが
 「山」がある】  読めない】

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【12.神戸市東部の道標】
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