28.神戸市灘区六甲台町5の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
神戸市灘区六甲台町5丁目31 神戸六甲線、勝岡橋東詰三ツ辻東部、マンション玄関北に西を正面に建つ
尖頭型角柱 96x28x27p(頂高4p)(龕部18x21x-3p、像部15x12x3p)
N34.726484 E135.232193


写真gimg8805

写真gimg8809

写真gimg8814

写真gimg8817

西面
┌─―――――――――――――――――┐
│                  │
│(座像)一王山十善寺道       │
│     此川上八町        │
└――――――――――――――――――┘
(「此」はくずし字)

南面
┌─―――――――――――――――――┐
│  いち王うざんみち        │
└――――――――――――――――――┘
(「王」は変体仮名「わ」で山号と偶然の一致
 であるが漢字では不都合)

東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――――┐
│ 元文四年未四月吉日        │
│施主 兵庫津川崎町油屋       │
│         者つ       │
└――――――――――――――――――┘
(「者」は変体仮名「は」、はつは女性か)


(元文四(己未)年四月1日とすると、西暦1739年5月8日金曜日となる。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊には未記載)
(想定で書きたくはないがこればかりは、蜀山人(太田南畝)の『革令紀行』(国立国会図書館デジタルアーカイブ
 の『蜀山人全集.巻1』吉川弘文館のコマ96)にある、「又右に一王山小(十の誤りか)善寺道、川上八丁とい
 へる石標あり」とする「石標」に違いないと思う。
 理由は二点。第一に「此川上八町」と一致しこの様な表現をするものが道標では極めて少ない。第二に「小善寺道」
 としている点である。『革令紀行』を見た時に私は、単に「十善寺道」を誤記したものと思っていたのであるが、
 この道標を目にしたとき「小」と誤読するのを納得した。遠めに見ると「小」と見えるのである。
 道標紀年には「元文四年四月」(1739年)、革令紀行は「文化元年八月十八日」(1804年9月8日金曜日)とあり
 60年以上も前の建立になり、南畝は見る事が出来たはずである。)
(元位置であるが、革令紀行に書かれた時点では西国街道筋にあり、住吉神社を過ぎ石屋川を渡る前となれば、東灘
 区御影石町3丁目7の
N34.714168 E135.249460
 辺り、現在では西国橋の東詰め三ツ辻北西部しか無いと思う。当時は西国街道が東へ続き四辻であったと窺えるの
 で、現在の無記入の面が川に面していたなら、今の西面が南面していたことになる。
  ただ、此処から十善寺迄は2km(18丁)もあり、「八丁」を信じる限りは灘区高徳町1丁目の平野橋西詰辺りが
 南限となりそうである。当時既に移設されていたものかは不明である。
  又、有名な萩藩絵図方の有馬喜惣太の『行程記』(明和元年(1746)頃)には、石屋川の東岸三ツ辻の北東部に
 白い棒杭の絵が描かれ、注釈に「此の棒杭ニ一王山十善寺道ト在リ」としており、棒杭が石標と同じなら上記の東
 側となり、現在の向きのままで建っていたとしても良い。)
(施主住所「兵庫津川崎町」は明治の地図の川崎町より、現在の兵庫区七宮町辺りと思われる。竹尾稲荷神社の由緒
 書きにある文化文政頃の地図にも描かれている。「油屋はつ」と読んだが「はつ」の上に一字有るかもしれない。
 名前のことであれば「一右衛門」等も考えられる。)
(「一王山」を案内する七基の道標は
 1.「灘区十善寺山門東下の道標」一王山のみ案内
 2.「灘区一王山町12の道標」一王山のみ案内
 3.「灘区一王山町8の道標」
 4.「灘区寺口町1の道標」一王山のみ案内
 5.「灘区寺口町2の道標」
 6.「灘区篠原南町1の道標」一王山のみ案内
 7.「当道標」一王山のみ案内
 である。)

写真gimg8801 写真gimg8882 写真gimg8858
【1.道標を北東に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を南東に望む
 小祠左に当道標  左六甲ケーブル駅へ  座像がある西面
 奥、六甲ケーブル駅へ】  右(南)阪急六甲駅へ】  左側に紀年がある】

写真gimg8843 写真gimg8819 写真gimg8851
【4.道標北面上部 【5.道標西面拡大 【6.道標南面上部
 「元文四年」  「十善寺」が  「いち王うざん…」
 と読める】  「小善寺」に見えるか】  と読める】

写真gimg8844 写真gimg8841 写真gimg8852
【7.道標北面中部 【8.道標西面左部 【9.道標南面下部
 「未四月吉日」  「此川上…」の  「…王うざんみち」
 と読んだ】  「此」はくずし字である】  と読める】

写真gimg8849 写真gimg8171 写真gimg8166
【10.道標北面下部 【11.石屋川西国橋より北を望む 【12.西国橋を東に望む
 「油屋」  2km上流に十善寺  左奥が元位置とした
 「者つ」としたが?】  右端辺りが元位置か】  右は旧西国街道薄板】

写真gimg6511 写真gimg8657
【13.神戸市東部の道標】 【14.『行程記』石屋川辺り】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ