15.神戸市灘区寺口町1の道標

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神戸市灘区寺口町1−2 県道95号高羽交差点の北西部、歩道橋下の植込みに南を正面に建つ
自然石 67x69x59p(五面を持つ)
N34.724348 E135.240159


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南面
┌─―――――――――――――――――┐
│右 一王山             │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――┐
│安政七年申正月六日         │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――――┐
│ 楠木               │
│ 功輝               │
│ 智深               │
└――――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊には記載なし)
(安政七(庚申)年正月六日は、西暦1860年1月28日土曜日です。)
(正面から見た石の形はグリップ付きのカメラからレンズを外したような感じであるが、側面は5面から成り立って
 おり、南面の案内を正面とすると、東面(小さい)に紀年、北東面に人名、北西面と西面が無記入となっている。)
(「右一王山」は十善寺としてよいであろう。明治44年発行の地図で見ると当地は四辻であったらしく、この位置
 ならば「右」は北に石屋川を渡り左岸を少し離れ直線的に上高羽橋の東詰めに進めば、十善寺参道口に出て問題は
 ない。(今の県道方向に直進すると反って遠回りとなる。)
  もし移設されたとするならば、現地より北西130m辺りにあった三ツ辻
N34.725196 E135.239381
 灘区一王山町3−27辺りと思われるが、現在(2020)では辻が無く民家になっている(辻は南20mに移動)と
 思われる。この辻を北に進み、石屋川の支流上嘉川を越えて上高羽橋北詰の変則四つ辻出る道が描かれている。
 この辻に南から東に向けて建てられていたとすれば案内に問題は出ないが、「灘区一王山町8の道標」の元位置
 の可能性があり、そうすれば二基が並んで建っていたのかも知れない。)
(北東面の施主であろうか、人名を三名とするか、「楠木」を苗字とみて二名が適当かは分からない。字の配置と
 名前らしさから見れば二名か、又百姓、町人等の名前では無さそうで僧侶なら三名でも可と思う。)
(「一王山」を案内する七基の道標は
 1.「灘区十善寺山門東下の道標」一王山のみ案内
 2.「灘区一王山町12の道標」一王山のみ案内
 3.「灘区一王山町8の道標」
 4.「当道標」一王山のみ案内
 5.「灘区寺口町2の道標」
 6.「灘区篠原南町1の道標」一王山のみ案内
 7.「灘区六甲台町5の道標」一王山のみ案内
 である。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を南に望む
 奥、六甲ケーブル下へ  奥、阪急六甲駅北へ  植木に隠れ当道標
 右、高羽交差点】  後は歩道橋の階段】  左奥(南)阪神石屋川へ】

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【4.道標南面拡大 【5.道標を上から望む 【6.道標を北に望む
 「右一王山」のみ  下が南面で  「一王山」は南東近くを
 大きく書かれる】  五面で構成される】  向くが南面とした】

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【7.道標南面拡大 【8.道標東面拡大 【9.道標北東面拡大
 「一王山」は  「安政七年申正月六日」  「楠木…」
 「一の尾」とも】  と読める】  二名か三名か】

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【10.神戸市東部の道標】
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