24.豊中市小曽根1―6道標(遺失)

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豊中市小曽根1丁目6―38 小曽根村を南北に走る道から西へ、西福寺の参道を20m程進んだ北側
角柱 28x南面22x17.5p
N34.762652 E135.48593


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南面
┌─――――――――――――――┐
│ 京             │
└―――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘


(『とよなか歴史文化財ガイドブック』2014年、市教委編では、B3_75)
(これを道標とすべきかは意見の分かれるところであろうが、「京」の下に何かある事を期待して、
 道標とした。
 石柱の上部が平らであり、面取りがされている点で上部が遺失したものではないと思われる。
 「京」の上部には一文字程度の余白があり、「右、左」等なら可能であるが、多少の凹凸がある
 ものの、文字の痕跡は見られない。
 豊中市内で「京都」を案内すると思われる道標としては、
 「5.瑞輪寺笠塔婆台座の道標」
 「9.服部西町3豊島小学校道標」
 「14.上野東1の道標」
 「15.中桜塚5の道標」
 等があるが、小曽根村から京都への道筋を考えると余り参考にはできない。
 ただ、この近辺で見ると、直線で500m程度北東(京都方面になる)の吹田市域にある
 「12.吹田市江坂町3榎坂西(大)道標」の西面に、「すぐ 吹田 京」とあり、当道標の東の
 辻から、190m北に進み、現府道145を東折れし、高川をくぐった後、すぐ北側にある旧道を進むと
 上記道標に行き着く。
 依って、当道標が東20mを南北に通る道(五畿内志の吉野嶺(路))にあれば、京都へ案内する
 道標として、特に不思議はない。
 尚、上記で説明した道筋は現在の道路状況であり、明治の地図を見ると、当道標の東20mの吉野
 嶺(路)の三叉路から、北30mの三叉路を東に折れ、高川西堤上の道へ登り、170m北進後、川を
 東に越えて、現旧道に続くようである。この道を採るなら、京都への案内は、吉野嶺(路)から東
 に分岐する辻に有ると便利であろう。現在その地点には、お堂が建っており、更にその北15mに
 は「23.小曽根2の道標」がある。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を北に望む
 道標は左寄り緑色の  東突当り南北の道は  上部が折れた痕跡はなく
 街路灯根元、奥西福寺】  吉野嶺(路)】  下の埋没部は不明】

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【4.旧道江坂、吹田への 【5.豊中南部の道標】
 分岐点を北に望む
 中央白い建物手前を右】

 2025/4/7 (遺失)
 2025/4月現在、元の位置には見当たらない。遺失とし、現況の写真を追加します。

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【6.旧道標地点を北東に望む 【7.元位置を北に望む
 背後に西福寺  旗立て台石の前辺りに
 左ブロック2段の角】  建っていた】

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