49.宝塚市清荒神3−2の道標

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宝塚市清荒神3−2 東西の有馬道(巡礼道)から北に清荒神への参詣道が交差する四辻の北西10m程に東を正面に建つ
平型角柱 182x東面36x21p(指し指部厚4p含まず)、右上から70pで折損
N34.812844 E135.352426


写真cimg2550

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写真cimg2552

写真dimg2506

東面
┌─――――――――――――――┐
│  日本           │
│(指差し) 清三寶荒神王(道)│
│  第一           │
└―――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――┐
│赤尾保            │
└―――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘


(( )部は『たからづかの道標』(昭和61年刊)13より。)
(又、「かってこの付近は「六軒茶屋」と呼ばれていた。」とあるように、
 今でもその名前を冠したカフェも存在する様だ。)
(この地点より東50mで、有馬道に中山寺からの巡礼道が合流しており、此処から北に清荒神へんの参詣道
 となる地点であるが、中山寺から直接清荒神へ向かうには、ここから350m程北の地点に直接出る、売布
 神社前を通る参詣道(現在は中国自動車道で分断)が使われたであろうと推測できる。それを裏付ける道
 標も残っている。 1617192021、参照)
  よってここに建てた理由は、南から来る人に参詣道の始まりを示す意味合いが強く、この道を利用する
 人が増えて後、建設されたと思う。従って、現在の阪急電鉄の駅が出来て以降の建設ではないか。
 (wikiによると、駅開設は1910年(明治43年)3月10日であるらしい。))
(参詣道の丁石いついては「bS7.宝塚市清荒神3清荒神丁石」を参照。)
写真dimg1576 写真dimg1577 写真dimg1578
【1.有馬道から北の参道を望む 【2.参道から北西に道標を望む 【3.道標前から南を望む
 道標は鳥居左のポールの左  清荒神は奥へ】  左右が有馬道、左中山
 瓦屋根との間】  
 アーケード左、緑色看板に「六軒茶屋」】

写真dimg2119
【4.宝塚西部の道標(明治44年)】
写真dimg0762
【6.宝塚南部の道標(明治44年)】
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