32.池田市吉田町485の円柱道標

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池田市吉田町485−1 南、光妙寺北側の道が、慈恩寺に当たる、四辻、南西部に東を正面に建つ。
(池田市中川原町515−1、の北側でもある。吉田町の飛び地、慈恩寺門前階段下、北西部は駐車場。)
円柱 154xφ19〜18p(上部楕円)(下部φ23p)
N34.855893 E135.432501


写真cimg4923

写真cimg4925

円柱状の石道標
東面(一部を平面に削り)
┌――――――――――――――――――――┐
│        妙見江         │
│長尾山毘沙門天             │
│        ぬけ道         │
└――――――――――――――――――――┘
その他の面
┌――――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘









(『池田を歩く』市教育委員会平成16年では31)
(同書に、「本来は北の長尾山の頂上付近に立てられていたが、ゴルフ場になる際移設。」とあり、
 移設されている。又、抜道が存在したようだが現在は不明ともある。
  先ず、長尾山毘沙門天とは、「慈恩寺」をさすようであるが、同寺のHPに、「人の往来が谷筋に
 変わった事もあり、明治20年(1887)10月現在地に移転されて今日に至ります。」と有るように、
 寺自体が移設されているようです。
 『摂津名所図会』の「久安寺」の中の「慈恩寺」の項で「当山より八町(870m)乾(北西)の方に
 あり」としており、明治の地図(42年測図)には、既に寺は載っていないが、270mのピークがあ
 る辺りに少し開けた場所が見え、(現在のゴルフ場内の池(長尾池?)の東方4〜500mのコース東端)
 その辺りに寺があったのでは、と仮定すると、明治の地図に小径より更に細い道では無いかと思わ
 れる点線があり、これが、西の旧妙見道に接続しておりこの道を抜道としたか、或いはその道を北東
 にとり、長尾山の頂上を越し、西へ下り、旧妙見道に続く道を、抜道と呼んだのではないかとし、
N34.868639 E135.440734
 辺りを、寺の位置とし、道標は、その入り口辺りにあったとしたい。)
(『摂津名所図会』は、国会図書館デジタルアーカイブ、同書[7]、13コマ参照。)
(形状が非常に珍しく、立木の一面をそぎ落とし、そこに字を書いたような雰囲気であり、割合新しい
 作成ではないかと思うが、寺の移転時期等を考えると、明治の初期には存在したことになる。
 完全なる円柱ではなく、上部断面は南北の径が19p、東西の径が18pの楕円をしており、下部もやや
 楕円形をしているが、直径23pのほぼ円状である。
 一見コンクリート柱のようであるが、石製である事は間違いない。(石質は解りません。))
(尚、抜道の例として
 1.宝塚市中山寺山門前(西側)の道標          「西宮大坂通ぬけ」
 2.宝塚市中山寺山門前(東側)の道標          「清水江通りぬけち可道あり」
 3.宝塚市小林1地蔵堂北の道標              「但し西宮ぬけ道阿里」
 4.伊丹市寺本二丁目嘉永五年常夜燈型道標     「西の宮通り/ぬけ道あり」
 5.宝塚市売布3(大)北側の道標             「くわう志゛ん道わけあり」
 6.池田市吉田町485の地蔵道標             「右ハよし川ちか(道)」
 等がある。)

写真cimg4922     写真dimg3258     写真dimg3256
【1.道標を北西に望む        【2.慈恩寺駐車場より        【3.道標を北西に望む
  左端が当道標            道標を東に望む           後ろは駐車場
  右階段上慈恩寺山門         右端が当道標】           右(北)山門への階段】

写真dimg3257     写真cimg7305
【4.道標下部拡大          【5.池田北部の道標】
  円柱の東部を削ぎ取り
  寺名と、案内を彫る】
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