26.尼崎市南塚口3専念寺前の道標

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尼崎市南塚口3丁目−24−25 専念寺南西部、西駐車場との境、東西の道の北側に南を正面として建つ
(東西の道は旧上坂部村から、栗山村への道で、此処、森村から北、塚口村に分岐する四辻の6m東)
角柱 32x南面14.5x東面15x北面13.5x西面15p(上部から見ると北面が1p短い台形状)
N34.748815 E135.419975


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南面
┌─――――――――――――――――┐
│右 大坂             │
└―――――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――――┐
│左 甲山             │
└―――――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘


(『みちしるべ』尼崎郷土史研究会会誌41号にのる。あまり紹介されていない道標のようである。)
(前述したように、東西の道は、明治の地図では、上坂部村と、栗山村を結ぶ道であるが、現在でも、西へ道なりに
 進むと園田学園女子大の北を通り、大井戸公園の西までは一本道で、その後はやや南に守部へと続く。
 明治の地図では、直線ではないものの、やはり守部へ続くのである。即ち、守部から武庫川を越えると、甲山へ行
 くことが可能なだけでなく、最短でもある。
  東はと見ると、道標より30m東に、南に分岐する道と、直進後北東に曲がったのち東へ進み、現ピッコロシア
 ターの交差点にでる道の、三叉路が有り、どちらを採っても、上坂部村には行くことが出来るが、南へ分岐する道
 を採る方が、「17.尼崎市上坂部2丁目の道標」のある四辻へは近く、そこから有馬道を採れば、大坂である。
  因みに、県道606号は、此処より東200mで北に折れ、産業道路となり、塚口本町6北交差点で西折れしており、
 この道標の有る地点は通っていない。
  ここで、道標の案内を見ると、現在地点では、辻のどの位置に置いても、右(東)大坂、左(西)甲山の案内が
 合わず、これを、上記の南への分岐点がある、三ツ辻の、東南部に、現南面を、西面して置くと、右(南)が大坂
 をさし、現東面の「左甲山」が南面となり、左が西を指し、上手く収まる。
  よって元位置を、南塚口3丁目−25−48
N34.748826 E135.420353
 辺り、三ツ辻の、東南部に、時計回りに90度回転して置かれていたとしたい。)
(甲山道の表現を持つ市内の道標は、全五基有り、
 1.「19.尼崎市浜田町1松原神社の道標」
 2.「20.武庫之荘8泥付地蔵堂の道標」
 3.「21.尼崎市守部神社の(南側)道標」
 4.「22.同(北側)道標」
 5.「26.尼崎市南塚口3専念寺前の道標」(当道標)
 市内では、当道標が最も遠い地点にあり、最も小さな道標である。小ささ故か「甲山」二文字の表記はこれのみ。
 西宮市域に於いては、「68.神呪寺丁石一覧」を参照下さい。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を西に望む 【3.元位置三叉路より 【4.道標の上部
 左端掲示板の下当道標  右奥(西)甲山へ  現道標を西に望む  手前が南面
 右奥(東)大坂へ】  郵便受けの左が当道標】  奥(西)甲山へ】  北面が1p狭い】

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【5.尼崎の道標】
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