22.尼崎市守部神社の(北側)道標

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尼崎市南武庫之荘8−15、守部素戔嗚神社の境内南西部に
東を正面として、南北に二基建つ(南側はこちら
北側道標
山形角柱 91x21x21p(頂高5p)(基部2p含む)
N34.747101 E135.38251


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東面
┌─――――――――――――――――┐
│左か婦と山道 是より       │
│       五十丁       │
└―――――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――――┐
│右大坂              │
└―――――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――――┐
│ 施主大坂新町          │
│   折屋徳兵衛         │
└―――――――――――――――――┘

(『尼崎の道標を訪ね歩く』平成27年荒木勉では21)
(元位置に関して、南側の道標で述べたものと、同様となるが、此方は、手掛かりとして「五十丁」が明記されてい
 る。もし「4.西宮市下大市西町3の(小)道標」が15丁の位置で、元々そこにあったとするなら、此処までは、
 35丁(3,800m)となる。現鳥居までが3,700mと推定出来るので此処より1丁南、「20.泥付地蔵堂の道標」
 の40m北(手前)が「五十丁」地点となる。この地点は、守部集落の南部に東西に走る二本の内の北側の道が甲
 山道に交わる地点で、大庄方面(旧戌井の集落)から道なりに来た場合、通る道筋であろうと思われ、上記「20.
 の道標」共々、案内があって然るべき位置ではある。よって
N34.745852 E135.383118
 辺り、三ツ辻の北東部に、現南面が、西面(90度時計向き回転)して、建っていた、としてもよいのではないか。
 但し、「4.西宮市下大市西町3の(小)道標」は移設されているとされ、元位置は同定できていない。よって
 これが動くと、上記推定位置も動かざるを得ない。)
(甲山道の表現を持つ市内の道標は、全五基有り、
 1.「19.尼崎市浜田町1松原神社の道標」
 2.「20.武庫之荘8泥付地蔵堂の道標」
 3.「21.尼崎市守部神社の(南側)道標」
 4.「22.同(北側)道標」(当道標)
 5.「26.尼崎市南塚口3専念寺前の道標」
 西宮市域に於いては、「68.神呪寺丁石一覧」を参照下さい。)
2024/3/19 追加 「奈良県吉野山金峰神社の道標」に折屋の紀年銘あり。)

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【1.神社前を西に望む 【2.境内より南西を望む 【3.道標を西に望む 【4.北面下部拡大
 鳥居の向うに当道標  右が当道標  手前石鉢は無関係  「施主大坂新町
 左170m泥付地蔵堂道標】  左は14道標】  下部左に「五十丁」】  折屋徳兵衛」とある】

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【5.元位置?を南に望む 【6.30泥付地蔵堂前道標の
 右奥南40mに30道標  辻より、北甲山道を望む
 左からの道が甲山道か】  右道の奥の電柱が元位置か
 
 明治地図では左道は小径】

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【7.尼崎の道標】

(『尼崎の道標を訪ね歩く』では、折屋に関して、「寛永年間(1624〜1644)、新地において、公許遊郭が置かれた」
 とある。)
(折屋徳兵衛等の建立した甲山神呪寺への道標は6基(内、西宮市に5基)あるとされているが、その内、五基を確認
 している。
 折屋徳兵衛等に関係するものは、西宮市の項で「67.折屋徳兵衛の道標一覧」にまとめた。
 ここでは、他の4基の写真のみ掲げておく。)

 4.西宮市下大市西町3の(小)道標
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13.西宮市甲東園2の供養道標
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17.西宮市門戸西町8の道標
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20.西宮市仁川百合野町の供養塔
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