尼崎市南武庫之荘8−15、守部素戔嗚神社の境内南西部に
東を正面として、南北に二基建つ(南側はこちら)
北側道標
山形角柱 91x21x21p(頂高5p)(基部2p含む)
N34.747101 E135.38251




東面
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│左か婦と山道 是より │
│ 五十丁 │
└―――――――――――――――――┘
南面
┌─――――――――――――――――┐
│右大坂 │
└―――――――――――――――――┘
西面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし) │
└―――――――――――――――――┘
北面
┌─――――――――――――――――┐
│ 施主大坂新町 │
│ 折屋徳兵衛 │
└―――――――――――――――――┘
(『尼崎の道標を訪ね歩く』平成27年荒木勉では21)
(元位置に関して、南側の道標で述べたものと、同様となるが、此方は、手掛かりとして「五十丁」が明記されてい
る。もし「4.西宮市下大市西町3の(小)道標」が15丁の位置で、元々そこにあったとするなら、此処までは、
35丁(3,800m)となる。現鳥居までが3,700mと推定出来るので此処より1丁南、「20.泥付地蔵堂の道標」
の40m北(手前)が「五十丁」地点となる。この地点は、守部集落の南部に東西に走る二本の内の北側の道が甲
山道に交わる地点で、大庄方面(旧戌井の集落)から道なりに来た場合、通る道筋であろうと思われ、上記「20.
の道標」共々、案内があって然るべき位置ではある。よって
N34.745852 E135.383118
辺り、三ツ辻の北東部に、現南面が、西面(90度時計向き回転)して、建っていた、としてもよいのではないか。
但し、「4.西宮市下大市西町3の(小)道標」は移設されているとされ、元位置は同定できていない。よって
これが動くと、上記推定位置も動かざるを得ない。)
(甲山道の表現を持つ市内の道標は、全五基有り、
1.「19.尼崎市浜田町1松原神社の道標」
2.「20.武庫之荘8泥付地蔵堂の道標」
3.「21.尼崎市守部神社の(南側)道標」
4.「22.同(北側)道標」(当道標)
5.「26.尼崎市南塚口3専念寺前の道標」
西宮市域に於いては、「68.神呪寺丁石一覧」を参照下さい。)
(2024/3/19 追加 「奈良県吉野山金峰神社の道標」に折屋の紀年銘あり。)
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【1.神社前を西に望む |
【2.境内より南西を望む |
【3.道標を西に望む |
【4.北面下部拡大 |
鳥居の向うに当道標 |
右が当道標 |
手前石鉢は無関係 |
「施主大坂新町 |
左170m泥付地蔵堂道標】 |
左は14道標】 |
下部左に「五十丁」】 |
折屋徳兵衛」とある】 |
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【5.元位置?を南に望む |
【6.30泥付地蔵堂前道標の |
右奥南40mに30道標 |
辻より、北甲山道を望む |
左からの道が甲山道か】 |
右道の奥の電柱が元位置か |
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明治地図では左道は小径】 |
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【7.尼崎の道標】 |
(『尼崎の道標を訪ね歩く』では、折屋に関して、「寛永年間(1624〜1644)、新地において、公許遊郭が置かれた」
とある。)
(折屋徳兵衛等の建立した甲山神呪寺への道標は6基(内、西宮市に5基)あるとされているが、その内、五基を確認
している。
折屋徳兵衛等に関係するものは、西宮市の項で「67.折屋徳兵衛の道標一覧」にまとめた。
ここでは、他の4基の写真のみ掲げておく。)
4.西宮市下大市西町3の(小)道標

13.西宮市甲東園2の供養道標

17.西宮市門戸西町8の道標

20.西宮市仁川百合野町の供養塔

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