60.箕面市勝尾寺境内の一丁丁石

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箕面市粟生間谷2914 勝尾寺境内、二階堂西10m、空き地に寝かされている。
尖頭型角柱 90x正面18.5x14p(頂高7p)(基部47x21x14p含まず)(像部25x16x2cm、凸部+1.5p)
N34.866625 E135.492112


写真eimg3520

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上面
┌―――――――――――――――――――――┐
│(座像)一丁               │
└―――――――――――――――――――――┘
(座像は『箕面のみちしるべ』に地蔵菩薩とある)

右面
┌―――――――――――――――――――――┐
│(なし)                 │
└―――――――――――――――――――――┘

左面
┌―――――――――――――――――――――┐
│(不明)                 │
└―――――――――――――――――――――┘

下面
┌―――――――――――――――――――――┐
│(不明)                 │
└―――――――――――――――――――――┘


(道標ではなく、丁石である。勝尾寺本堂であろう。一丁は、109mとする。)
(『箕面のみちしるべ』箕面市教育委員会、平成三年刊、では、38)
(同書では、「境内に保存してあるので、旧位置は寺の付近にあったものと思われるが、全くわからない。」
 としているが、山門南の表参道にある、日本で一番古いとされる「箕面市粟生間谷表参道の一丁丁石」
 が山門までの距離を示しているとされるのに対し、一般的な丁石の定義に従って、本堂までの距離とし、
 勝尾寺の現状(境内整備中)に照らすと、本堂南に置かれていたものが、一時的にここに置かれている
 ものと考える。
  明治の地図で、本堂から1丁の距離を参道(北、開成皇子墓への道は除いた)で見ると、二ヶ所が該
 当しそうで、一つは、表参道上の地点で、多宝塔の南、不動堂の南、山門からの道が西に折れる、階段
 の踊り場(広場か)となる辺り
N34.865672 E135.492113
 もう一つは、滝道、高山道方面からの参道となる、上記の西側地点、鐘楼を下り石垣を西に廻り込んだ
 (お札授与所の南)
N34.865315 E135.490783
 辺りが考えられる。
  同書の写真に「箕面市粟生間谷(勝尾寺山門南西)の道標」と共に建つ
 姿が写っており、この道標が、元小池院を本坊としていた頃に、本坊の土塀を背に立っていたらしい、
 としている事から、東方の場所の方が可能性は高いと思われる。
 又、丁石の風貌も「東巡礼道」系によく似ており、東側を支持するが、この場合は、起点が本堂下階段
 辺りと推定される為、もう少し、南(40m)に置かれていたかもしれない。)
(丁石に関しては
 43.「箕面市勝尾寺の東巡礼道丁石一覧」
 44.「箕面市勝尾寺の表参道丁石一覧」
 45.「箕面市勝尾寺のウツギ谷参道丁石一覧」
 46.「箕面市西江寺の高山道参道丁石一覧」
 も参照下さい。)

写真eimg3506 写真eimg3510 写真eimg3513
【1.二階堂西10mの道標等 【2.道標の上面拡大 【3.丁石上部の拡大
 工事用柵の北側に  像部の右端欠損は  下左側、当丁石
 資材石と共に有る】  以前から見られた】  下右側、二丁丁石】

写真dimg2458 写真cimg7535
【4.箕面市の道標】 【5.勝尾寺への参道】
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