66.高槻市神峯山寺三町丁石

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高槻市原 原1567の道標(牛地蔵の西)から寺への参道、勧請掛の手前の道北側に、南を正面に建つ
船形板碑 66x東面23x16p(頂高7p、稜線3p下る)(碑面龕部60x16x-1p)
N34.894398 E135.60647


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南面
┌――――――――――――――――――――┐
│(梵字)三町              │
└――――――――――――――――――――┘
(梵字はベイ「毘沙門天」の種子であろうか)

東面
┌――――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘


(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、31)
(同書に、「…バス停「神峯山口」から来た場合の近道となっている。」とある様に、西の「高槻市原1496の道標」
 から直登してくる階段と、牛地蔵からの自動車も通行可能な参詣道との交点に立っている。また新名神の開通により
 作られたと思う新参詣道の駐車場の西端にもなっている。
 多分、「高槻市原1567の道標(牛地蔵の西)」を起点として、旧自動車参詣道の距離を示していると思われる。
 通常の丁石の様に本堂までの残距離を示さない。こうなると何のための丁石か分からなくなり、当初建設位置のまま
 であるかは疑問である。
 又、上記起点は、神峯山寺への道標「三島江2の道標」「芥川町4地蔵堂の道標」が示したと思われる、参道の起
 点からも760m(約7丁)も北になり、これらの道標との関連性は無いものと思われる。)
(次の「四町」丁石は無くなっている様であるが、「七町」迄の距離440mはほぼ正しいと思われる。)
(尚、「神峯山寺参詣道筋標石建場の奉納額」には丁石に関しては触れられておらず、それ以降の建立かも知れないが、
 これの方が古く見える。)

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【1.丁石を西に望む 【2.丁石を東に望む 【3.丁石を北に望む
 奥(西)牛地蔵へ  電柱前に当丁石  右(東)神峯山寺へ
 右、神峯山口バス停へ】  勧請掛右は新駐車場】  左、牛地蔵へ】

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【4.丁石南面拡大 【5.丁石東面上部
 龕像風にして  舟形が良く分る
 「三町」とある】  稜線が後に下がる】

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【6.神峯山寺参道地図】

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【7.高槻中部の道標】
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【8.高槻南部の道標】
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