36.神戸市灘区五助ダム北の道標

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神戸市灘区本山町森 住吉道「JR住吉駅6q、六甲最高峰3q」(ひ6-16)標柱から東へ20m、休憩地に転がる。
(西お多福山分岐標柱から北130mを東20m入る、でもある。)
自然石 204x95x59p(碑面幅63p)(左奥行45p)
N34.758841 E135.266614


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上面
┌─―――――――――――――――――┐
│右 有馬道             │
└――――――――――――――――――┘

右面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

裏面(写真は上部より)
┌─―――――――――――――――――┐
│(不明)              │
└――――――――――――――――――┘

左面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊には未記載)
(自然石としたが、上面はほぼ平らに整面されており、右面にはノミ痕らしきものもある。)
(道標の側に説明板が置かれ次の様に書かれている。
 「約100m上に有馬に物資を運んだ、旧有馬道の跡があり、この石標は1938年7月の阪神大水害で、そこから流されて
  きたもので、およそ70年ぶりに発見されました。 2010年11月」。
  又、住吉道(現在の登山道)の説明板にはこう書かれている。
 「20m先に1938年7月6日阪神大水害で流された『右有馬道』と書かれた石の道標があります。見てやって下さい。休
 憩所もあります。」
 どちらもほぼ同じ内容で、web上に見た「2010年7月27日の神戸新聞夕刊に「70年ぶり道標ひょっこり」「六甲超え有
 馬への住吉道」という記事が掲載されました。」とも一致しており、現在地にあるのは移設でなく、流失発見となりそ
 うです。
  又、blogに「…有馬道(住吉道)も多くの個所で破壊され、その後は荒れるままに放置されていた。現在の住吉道は、
 昭和49年(1974)に神戸市がハイキング道として整備した…」とある記事を助けにすると、現在のハイキング用「住吉道」
 の路上ではなく、東に20m入り込んだ位置にあることは不思議では無いでしょう。)
(元位置を探ってみよう。説明板に従って、住吉道を110m程北東に登ってみると右側(南)から来る道跡らしきものと
 合流し、北に折れ曲がる、三ツ辻の様になった地点がある。ここが元位置候補と思われ周囲を見回すと、南への旧道跡
 は傾斜も緩く広さもあり、所々には石垣も残る状況であるのに、なぜこれを住吉道として復旧しなかったかが不審な点
 ではあるものの、ここを候補地としたい。
 これを、「今昔マップ on the web」明治の地図を見ると、現行山道よりも少し東側(山側)を通過している様に見え、
 上記の旧道跡を表しているとして良いでしょう。
  但し、ここで疑問が一つ。何故この地点に「右、有馬道」の案内が必要であったのか。
 上記の明治の地図では当地は辻には見えず、一本道に見え、これほど大きな道標を建てる必要はないものと思う。地図
 に載らない道が有ったとすべきか。或いは、明治の頃の道路整備の折に、記念碑的(「有馬町鳥地獄の道標」参照)に
 建てられたものかもしれ無い。
  前述の「約100m上」を距離では無く高さとし、明治の地図で此処より上流の辻を探すと、「魚屋道」との合流点も
 考えられるが、そこから落ちてきたとすると、地形的にここに流れ着く可能性は低い様に思い、候補より外した。)
(石の特徴として、自然石としたが、相当人の手が入っており、切り出し石を用いている事は間違いないでしょう。特に
 右側面の下部にはノミ痕らしきものが数ケ所見え、左側のホッペの様に張出した平らな部分も、正面を二段に仕上げた
 様に見えるが、作業途中で止めた様にも感じられる。角柱に切り出そうとしたが、造形的に面白いのでここでやめた様
 な感じがする。
  尚、下部に当石から割れて分離したと思われる部分は大きさに含んでいません。合わせると一つの石になる様に見え
 るが、もし流出時に割れたものなら同じ位置に有る訳はなく、その後の割れであるなら倒置したまま置かれる弊害か。
  次に、石の立派さに対し刻まれた文字に違和感を持つ。字体は勿論、彫り方も雑な感じがして、現場でやっつけ仕事
 で刻んだのではないかとしたいが、如何でしょう。)
(昭和12年4月発行、木藤精一郎著「六甲北摂ハイカーの径」を要約すると、「住吉道」は現五助ダムの下流から川筋を
 東に離れ西瀧ヶ谷分岐へと進む。この道を「高臺(台)道」と読んでいる。五助ダム下から西瀧ヶ谷分岐まで約500m、
 としており、この分岐点は、出会い(多分川の合流点)の少し上としている。そこに「大毎道標」があり、そのすこし
 先に当道標があった。
  その少し先が、明確に書かれていないので上記の元位置は不明のままである。尚、神戸市中央図書館の上書は添付図
 が無かったが、同著者の「ハイカーの径、第一輯六甲連山」昭和22年9月発行の添付地図を見ると、五助ダムより上流
 部分の経路は現在の地理院地図とほぼ同じように見えるが、唯一、西瀧ヶ谷分岐から150m上流辺りに、東から下って
 来る道が三ツ辻を作っている。しかしそこは、当道標の下流でもあり、上に流されてくる訳はない。)
(山頂迄は3q程と思うが、2.8km標柱地点より先は未踏査である。
 住吉道の経路上として南は「住吉山手3会館東道標」、北は「有馬町1134の道標」
 更に遠く「道場町平田稲荷神社の道標」等も見て下さい。)

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【1.西お多福山分岐標柱を 【2.住吉道の道標入口を北に望 【3.道標入口を東に望む
 北に望む、この先130m  左標柱に「ひ6-16」とあり  「左、最高峰/右、住吉駅へ」
 程に道標入口の案内板】  その手前を右(東)に入る】  右後ろに道標への案内板】

写真jimg0541 写真jimg0603 写真jimg0604
【4.道標上面の拡大 【5.道標上面更に拡大 【6.道標上面上部拡大
 「右 有馬道」  「右 有馬道」  「右 有馬」
 とある】  木漏れ日でどうか】  は間違いない】

写真jimg0590 写真jimg0548 写真jimg0520
【7.道標を北東に望む 【8.道標左面の上部 【9.右側面上部
 休憩用広場の様だが、  文字は無さそう  中央上、一見文字の様だが
 木の椅子も朽ちている】  文字面と段差を付ける】  苔と見て何も無いとした】

写真jimg0588 写真jimg0611 写真jimg0556
【10.道標の説明板、 【11.元位置候補を北に望む 【12.右側面下部のノミ痕
 柱から取れて落ちていた  現住吉道は左から来て奥へ  右側が上方向になる
 内容は上記参照】  正面の曲り角に有ったか】  ノミより下は割らず残したか】

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【13.神戸市東部山岳部含の道標】

 【補足】
(行き方、住吉川右岸、白鶴美術館前の道を北に200m落合橋を渡り、三ツ辻を右(東)に入り「水災記念碑」を過ぎて
 道なりに、舗装道路を進み、甲南斎場前を過ぎ、「左矢印、住吉台」(ひ6-1)標柱を曲がらず直進します。ここからが
 ハイキング道でしょうか、美術館前から1.5q程です。50mで水車小屋跡手前の(ひ6-2)標柱の「五助ダムを経て…」に
 従って、左の山道「住吉道」に分け入ります。300m程で一度住吉台方面からの広い道(ひ6-3)標柱に出た後、五助ダム
 の手前までは車も通れそうな道になり、これを600m程進むと、大きな「石切道周辺案内板」のある広場に出ます。
 ここを直進し五助ダムの上に出て、ダム上部で左岸に渡った後は「六甲山最高峰」を目安に水平距離で1.5km程進めば、
 「西お多福山分岐」標柱(進行方向からは文字が見えずただの茶色い棒)が最終目標となります。この標柱の130m先
 (北)の(ひ6-16)標柱と道標案内板が入口にあり、東に笹をかき分け進むと20m先に道標が倒置されています。)

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【14.水災記念碑を北に望む 【15.(ひ6-1)標柱を北に 【16.(ひ6-2)標柱を北に 【17.(ひ6-3)標柱を北に望む
 右奥に進む、背後落合橋  望む、右奥に直進  望む、左、山道に登る  上に出て広い道を右に
 北の三ツ辻】  左は住吉台へ】  右奥、水車小屋跡へ】  左は住吉台へ】

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【18.五助ダム下広場 【19.ダム上の堆砂地を抜け 【20.住吉道右岸通行不可 【21.打越峠への分岐
 案内図の左を奥へ直進  左岸道に渡り北へ進む  (ひ6-7)標柱を直進  (ひ6-8)標柱も直進し
 右下川に下らない様に】  右ダム堰堤方向】  左分岐は通行不可】  六甲最高峰へ進む】

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【22.大毎の道標を過ぎ 【23.(ひ6-9)標柱だけは 【24.西お多福山分岐標柱 【25.同左標柱の裏側
 (ひ6-8)標柱から150m  右側に折れる様に進む  南と東面に文字無し  を見る。西面の
 右側3m程奥に西を向き  直進は川原に落ちる感じ  川を渡り西お多福山  「六甲最高峰4.1km」は
 「…六甲山頂ニ至ル…】  此処が西滝ヶ谷への分岐か】  への道は崖崩れあり】  住吉道での距離ではなさそう】

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【26.道標入口の(ひ6-16)標柱
 を東に望む、住吉道からは
 東(写真では奥)に折れる
 20m先に当道標】
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