47.箕面市勝尾寺境内の廿丁丁石

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箕面市粟生間谷2914 勝尾寺境内、鐘楼の北東、石段を一階降りた、踊り場の南西角に、東を正面に建つ。
山型角柱 75x東面18.5x12.5p(頂高4p)
N34.865674 E135.491408


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東面
┌―――――――――――――――――――――┐
│廿丁  勝尾寺              │
└―――――――――――――――――――――┘

北面
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│(なし)                 │
└―――――――――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――――――――┐
│(なし)                 │
└―――――――――――――――――――――┘

南面
┌―――――――――――――――――――――┐
│(大阪 淡)               │
└―――――――――――――――――――――┘
(( )部は、『箕面のみちしるべ』より)


(『箕面のみちしるべ』箕面市教育委員会、平成三年刊、では28)
(同書に、「…どこからの丁数か旧位置は全く不明である。」としている。
 形態的には、「箕面市東巡礼道の勝尾寺16丁石」とよく似ており、その参道筋の20丁が、見つかってい
 ないことから、そこからの移設としてはどうか。ただ、東巡礼道系統に残る丁石の多くが持つ座像が刻ま
 れていない。
 明治の地図で桜地蔵の16丁石(上記)と、西田橋の22丁道標から、想定すると口の地蔵から100m程北
N34.852418 E135.500603
 辺りかと思われるが、22丁が山門迄と想定され、本堂までを示すなら、もう2丁北辺りとすべきである。)
(南面、『箕面のみちしるべ』にある「大阪 淡」が「内淡路町」とあるなら、
 表参道系の「64.箕面市粟生外院2表参道30丁丁石」
 施主「小嶋屋長左衛門後室」と同じ可能性も出てくる。ただこちらの場合だと、梵字が無い事と、外観が
 大きく異なる。)
(丁石に関しては
 43.「箕面市勝尾寺の東巡礼道丁石一覧」
 44.「箕面市勝尾寺の表参道丁石一覧」
 45.「箕面市勝尾寺のウツギ谷参道丁石一覧」
 46.「箕面市西江寺の高山道参道丁石一覧」
 も参照下さい。)

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【1.丁石を南西に望む等 【2.丁石を西に望む 【3.丁石の東面
 中央階段踊り場  左上鐘楼、階段と  階段の石にピタリと
 奥の石が当丁石】  木柵の間に当丁石】  納まっている】

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【4.箕面市の道標】 【5.勝尾寺への参道】
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