72.箕面市粟生間谷表参道の十丁丁石

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箕面市粟生間谷 南北に通る表参道の西側に、東を正面に建つ
尖頭型角柱 116x東面18x17p(頂高12p)
N34.856802 E135.49539


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東面
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│(梵字)十町 大坂小嶋長左衛門後室   │
└――――――――――――――――――――┘
(梵字はコク『箕面の市史』より、種子は金剛愛菩薩等)

北面
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│(なし)                │
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南面
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│(なし)                │
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西面
┌――――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘


(『箕面のみちしるべ』箕面市教育委員会、平成三年刊、では18)
(同書に、「小嶋屋寄進の町石はここまでであって、この先は鎌倉時代に建てられた古い町石七基がある。」
 とあるが、九丁、八丁、が見当たらず、きっと存在したと思われ、小嶋屋関係者が建てたと思うがどうで
 あろうか。
 尚、「後室」とある丁石は、
 1.「箕面市粟生新家1大鳥居南西側の三十六町丁石」
 2.「箕面市粟生新家1大鳥居南東二基の内東側の山門へ三十六町丁石」
 3.「箕面市粟生外院2表参道三十町丁石」
 4.「十町丁石」(当丁石のみ「内淡路町」が彫られていない。石幅が狭く二行に出来なかったためか。)
 があり、「小嶋屋」とだけある施主の奥さんが、夫の遺志を継いで建てたと想像するならば、九、八も
 「後室」の可能性が高いと思う。)
(現在「小嶋」系丁石としては、最も勝尾寺に近い丁石となる。古い「五輪卒塔婆」系丁石を補ったもので
 あるなら、「九、八町」が、存在したのであろうか。)

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【1.丁石を北に望む 【2.丁石を南に望む 【3.東面下部拡大
 奥(北)表参道を  奥、新家へ  「…小嶋長左衛門後室」
 勝尾寺へ】  背後(北)勝尾寺へ】  と読める】

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【4.箕面市の道標】 【5.勝尾寺丁石分布図】

(丁石に関しては
 43.「箕面市勝尾寺の東巡礼道丁石一覧」
 44.「箕面市勝尾寺の表参道丁石一覧」
 45.「箕面市勝尾寺のウツギ谷参道丁石一覧」
 46.「箕面市西江寺の高山道参道丁石一覧」
 も参照下さい。)
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