22.神戸市中央区神戸港地方再度越の市境標(道標では無い)

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神戸市中央区神戸港地方再度越三ツ辻 再度越(鞍部)を北に20m再度山頂上分岐三ツ辻の南東部に北を正面に建つ
(再度越に西からの六甲山縦走路が出会う地点の北40m地点の東への山道入口です。)
角柱 66x19x19p
N34.717983 E135.176079


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北面
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│神戸市界              │
└――――――――――――――――――┘

西面
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│七十七号              │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――――┐
│神戸市役所             │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――┐
│明治三十三年建之          │
└――――――――――――――――――┘


(明治三十三年は、西暦1900年)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊には未記載)
(道標では有りませんが、境界碑として幾つか載せているものの一つとしたい。
 同じ神戸市内においては郡界「中央区北長狭通1の郡界碑」を載せているが、神戸市の境界を示す石は始めてなので
 取り上げました。同様の町界碑は伊丹市「鈴原4町村境碑」に、県や府では「能勢町吉野ひいらぎ峠京都府境の標石」
 「島本町・大山崎町の府界石」等があるようです。近世の藩境界碑は尼崎藩の「芦屋市三条町1の藩領石」等が多く
 残り、国境を示す碑「茨木市京都府境の標識」「三島郡島本町山崎1国境碑」もあります。
 行政府としては重大な問題なのでしょう。
 この石に「77号」とあるので他にも沢山残るものと思います。
  稜線を少し北に越した地点で、東の再度山山頂へ向う山道脇に建つ為、この道が境界線であったものか。北は多分
 山田村であったと思う。)

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【1.石標を南に望む 【2.石標を東に望む 【3.石標を南西に望む
 左に当石標  奥(東)再度山頂へ  左、鞍部から大龍寺へ
 奥(南)大龍寺へ】  10分とあったが未踏査】  右(北)修法ヶ原池へ】

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【4.石標東面拡大 【5.石標北面拡大 【6.石標西面拡大
 「…治三十三年…」  「神戸市界」  「七十七号」
 と読める】  北側は山田村か】  1号からあるのか】

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【7.石標南面拡大
 「神戸市役所」は
 施工主であろう】

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【8.神戸市西部の石標】
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