30.大阪狭山市駅前の古い道標

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大阪狭山市狭山5−784−1 大阪狭山市駅南踏切東の四辻南東部歩道上南側に西を正面に建つ
自然石風 80x42x27p(上部25x18p)
N34.503599 E135.557701


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西面
┌─――――――――――――┐
│ 右 かうや       │
│〇     道      │
│ 左 よしの       │
└―――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――┐
│(なし)         │
└―――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――┐
│(なし)         │
└―――――――――――――┘


北面
┌─――――――――――――┐
│(なし)         │
└―――――――――――――┘


(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、416)
(西面「かうや、よしの」は「高野山、吉野山」で案内に疑問点はなく、web『大阪狭山市歴史文化の特性5章』
 にも「中高野街道と吉野へと続く道の分岐に置かれる道標」と紹介されている。)
(当道標と北の「大阪狭山市駅前の道標」と名付けた道標は、地蔵、石灯籠等も含め、南隣の自転車屋さんの私有
 地内にワザワザ店舗を削った上で置かれている。先代の御亭主が大切にする必要があるとし保存に力を入れ、結
 果、今に残っているようです。有難うございます。)
『今昔マップ on the web』明治の地図を見ても、ほぼ現在の様子に近く、報恩寺方面から南東行してきた道
 を道なりに進むと、高野山には向かわず、右の中高野街道に分岐する必要がある為、道標が必須の辻である。)
(「〇」は光背の円光又は月輪等ではないかと思うが、『大沢町誌』平成三年刊には「…宗教用語一切空をあらわ
 している。」とありこれかも知れない。〇の中に梵字を刻むものもあるようだが多くは見かけません。当道標で
 は少し窪んではみえるが無いように思います。
 例を挙げておきます。
 「神戸市北区八多町吉尾公会堂の道標」
 「神戸市北区大沢町神付字黒岩の道標」
 「茨木市清坂71の西の道標」
 月輪で
 「宝塚市小林1地蔵堂北の道標」
 円光背で
 「三田市木器186興福寺下の道標」
 等がある。)
(すぐ北にある「大阪狭山市駅前の道標」は此方を参照下さい。
 北西250mに「大阪狭山市池尻の道標」があります。)

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【1.道標を南に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標上部を見下す
 右自転車に囲まれ当道標  右(南)高野山へ  下辺が西面になる
 左に天保頃の道標】  左は吉野へ】  少し台形か】

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【4.道標西面左部拡大 【5.道標西面拡大 【6.道標西面右部拡大
 「左 よしの」  中央に  「右 かうや」
 と読める】  「〇 道」とある】  「右、高野」であろう】

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