40.尼崎市JR塚口駅北東の道標(調査中)

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尼崎市上坂部1丁目1−4 JR塚口駅北東部、塚口踏切東詰め南部に南を正面に建つ
角柱 130x34x30p
N34.752354 E135.424989


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南面
┌─――――――――――――――――┐
│東南 尼ヶ崎 大阪        │
│西北 塚口 伊丹 池田      │
└―――――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――――┐
│ 東               │
└―――――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――――┐
│   昭和五年三月        │
│ 西               │
│   森熊蔵(建之)       │
└―――――――――――――――――┘
(( )は『尼崎の道標を訪ね歩く』より)


(『尼崎の道標を訪ね歩く』平成27年荒木勉では7)
(紀年の入った道標では市内で最も新しいとされている。当時の場所は駅北西部であったらしい。)
(元位置を昭和9年発行の地図で考えると、ほぼ現在地に当るの三ツ辻では、案内する方向が少し合わず、北面が未
 記入であることから、相応しくないように思う。
 方向の記述が気に掛かるものの、現踏切の西詰、三ツ辻の北部とすると、北面の問題は解決する。JR(国鉄)塚
 口駅を出て北に突当る正面、現東塚口町1−1−24、塚口踏切西の北部
N34.752477 E135.4246643
 辺りに建っていたとしたい。
 突当った東西の道は、塚口村集落に向け、真西ではなく西北西に進んでおり、西北としてもよいと出来る。
 尚、尼崎へは現在の県道13号(産業道路)はなく、線路を東に渡り、現JR尼崎駅西に繋がる旧道で長洲へ進み、
 大阪へは途中「17.尼崎市上坂部2丁目の道標」から東進するものと思う)。
(東西南北等の方位を示す道標は珍しいが、明治に入ってからは少し多くなると思う。当道標の南面にある「北西、…
 池田」を見ると、池田なら位置的には「北」となるので、これはこの地点での進むべき方向を示している。
 昭和(近代的)らしい道標と言えるでしょう。
 似たものを幾つか挙げておきます。 
  「大阪市東住吉区今川2の道標」
  「茨木市中河原町10の道標」
 江戸期のもので、方位を明記した
  「箕面市箕面1の道標」
 同じく、(地蔵)像を持ち古そうな
  「神戸市北区大沢町日西原地蔵堂の道標」
 頭頂部の四角錐の各面に方位神を用いて示した
  「茨木市三咲町2の道標」
 進む方向を書いたと思われる
  「八多町附物の道標」

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標南面下部 【4.道標を南西に望む
 道標後ろに塚口踏切  左JR塚口駅  「尼ヶ崎…」  右側(北面)上部が
 右手前、塚口駅東口へ】  道標は物置後辺り】  「塚口 伊丹」か】  少しだけ見える】

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【5.道標東面下部 【6.道標西面上部 【7.道標西面下部 【8.道標北面下部
 「東」以下には  「…和五年…」  「三月」「熊蔵」  「北」は書かれず
 書かれていない】  「…森」か】  「建之」は未確認】  下部は整面されている】

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【9.尼崎の道標】
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