18.伊丹市荒牧5にあった道標

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伊丹市立博物館蔵A。延宝二年(1674)荒牧道標
伊丹市荒牧5丁目(3−2荒牧中学北辺りか)にあったらしい
(花崗岩 板碑型 高91p,幅30p,奥20p 上部欠損)
N34.80944 E135.3815


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正面
┌─―――――――――――――――――┐
│ 延宝二甲寅年  右ハたんばみち  │
│南無阿弥陀仏       かくや西念│
│ 八月二十九日  左ハゆの山みち  │
└――――――――――――――――――┘

右面
┌─―――――――――――――――――┐
│(不明)              │
└――――――――――――――――――┘

左面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

裏面
┌─―――――――――――――――――┐
│(不明)              │
└――――――――――――――――――┘


(延宝二年八月二十九日は、西暦1674年9月28日金曜日となる。)
(博物館解説に、
 『「ゆの山」とは有馬温泉のことと考えられています』、
 『「千日隔夜信仰」のこととみられ、「西念」はその修業僧の名前でしょう。
  同種の道標は宝塚市や池田市にも例があり』とある。)
(同種に関して
 【西念】が同じ、
  1.宝塚市安倉南4姥ヶ茶屋の道標     (寛文8年1668年) 『千日かくや道心西念』の記銘あり、同一人物と思われる。
 【かくや】を持つものでは、
  2.池田市木部町3三基の内西側の道標 『九西』
  3.川西市加茂2の道標        『九西』
 【寛文年間】と同じか近いものとして、
 (寛文8年(1668)年から前後20年の、慶安(1652〜)、承応、明暦、万治、寛文、延宝、天和、貞享(〜1688)とした)
  4.寛文九年伊丹市北村道標        (寛文9年1669年)
  2.池田市木部町3三基の内西側の道標   (寛文12年1672年)
  3.川西市加茂2の道標          (寛文12年1672年)
  5.箕面市西宿1(箕面山へ)の道標    (寛文12年1672年)
  6.宝塚市中山寺2華蔵院道標       (天和3年1684年)
  7.宝塚市小浜5の道標          (貞享4年1687年)
 この後5年延ばすと、
  8.箕面市新稲5の道標          (元禄4年1691年)
 を挙げておきます。)

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【1.宝塚市安倉南4】 【2.寛文九年伊丹市北村】 【3.池田市木部町3三基の内西側】 【4.川西市加茂2】

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【5.箕面市西宿1】 【6.宝塚市中山寺2華蔵院】 【7.宝塚市小浜5】 【8.箕面市新稲5】

(元の位置について、
 『伊丹の道標をたずねて古道を歩く』には
 「この道標は荒牧中学校の北側の角地に建っていた。」と書かれており、
 下記写真(写真9)の下に「左/ハイツ下が道標趾」としている。
 博物館の説明(写真10)でも、その辺りを示していると思われる。
 「右、丹波道 左、湯の山道」は、右が北、左が西方向を指すと思われるので、上で述べられた
 位置では正面が、東を向いていたと思われる。
 しかし、この地点に東から来る道は主要な道ではなく、天神川で遮られている様で、
 人通りも少ないと思われことから、設置するには相応しくなさそうである。
 (もしこの四辻なら、辻の北西部に建っていて、南東を正面としている必要がある「候補1」。)
 明治42年の地図で候補地点を探すなら、北280mのY字路(現在無し)に南面している「候補2」か、
 南110mの変形四辻(現在辻北東部に行者堂等がある)「候補3」で東面していた、等が挙げられる。
 何れにしても、博物館に収蔵された時点で、既に移設されていたものと思う。)
(『荒牧郷土史』(平成7年発行)第五節に「下ノ池跡の荒牧センター西側交差点の東北方に立っているが、
 この道路の西側から下ノ池に流入する用水路改修工事のさい、掘り出されたものという。」との記述があり、
 同書の他の記述から、取水口は池の北西角一か所のようで、掘り出されたところが元々の位置であるなら、
 「候補1」となる。)
(『伊丹の道標をたずねて古道を歩く』には、出典『市内の古式道標』とある。『絲海26号』か。)

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【9.元位置(信号機根元辺り)交差点西より東を望む。】 【10.博物館の街道と道標地図】

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【11.伊丹北部の道標(明治42年)】 【12.荒牧村実測全図(明治後期)「伊丹古絵図集成」(本編)参照】

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【13.候補3の辻(荒牧中南西)
 変則四辻西部より北東を望む
 左右は県道335号、左へ中山道?
 中央奥、軽四左に役行者堂と地蔵堂】
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