なおなっく物語(幼少編)

学校行事(運動会、マラソン大会)

今日は運動会、マラソン大会について書こう。

運動会は、メインは紅白リレー。小学校3年の時、一度だけクラス代表になったことがあった。2クラスだったので1クラス2名が代表になる。
この頃までは足が速かったが、その後はエリマキトカゲと言われる走りで足は速くなくなった。早熟なのだ。
メインレースなのでかなり盛り上がるが、差を「はらしん」と言う奴に縮められ、帰ってから親父に文句言われた記憶がある。

地区対応リレーもあったが、同じ地区に早い奴がいて、6年間でることはできなかった。
人が少ない地区で借りられることはあっても。。

運動会では、ダンスがあるのだが、背が小さかったので、低学年の時は、いつも女役で男と踊っていた。女と踊る奴にヒューヒューと言っておちょくっていた。「女と手をつないでいるー。」って言うと皆恥ずかしく照れるのである。

親子対抗リレーというものもあって、兄弟が2名いれば、兄弟の下、上、母、父という順番で走るのだ。
毎年走っていたような気がする。この時も「はらしん」と競っていた。親父がどどり走りで走っているのを見て、笑っていた記憶がある。うちの親父走りを他人が真似ていた。

小学校6年の時は、応援団長となり、運動会前は、いろいろな学校や施設の応援団を見にいったものだ。
うちの町に精○病院(この表現はよくない)があり、よく見に行き、障害物レースで飴やあんぱんを食べていた。応援団は幼稚なもので、赤組大きくちゃっちゃっちゃ。白組ちいさくちゃっちゃった。と言うもの。北小学校は、細川たかしの北酒場をもじって応援歌にしていた。
私は、わーかい娘がうっふーん。と黄色いサクランボを応援歌にして、かあちゃんのスカートを着て、踊った記憶がある。
うぅーん。懐かしい。

マラソン大会も記憶が多い。小1のときは5位だった。
小学校のときのマラソン大会の距離は以下のとおり。学校が高台にあり、スタート時、ゴール前は心臓破りの丘をどう克服するかがレースの難関であった。
・1年:800m
・2年:1500m(はーるまで)
・3年:3000m(きたうちげーの橋の入口んにき往復)
・4年:4000m(えごっつぁま往復)
・5年:5000m(いんのこーち往復)
・6年:5000m(いんのこーち往復)
小学1年から走るのだが、5kは結構きつかった。順位はいまいち覚えていない。
ちなみに中学校は3年間8km、高校は20km走ったものだ。となりの高校は35,6km走っていた。
中学校のとき、途中で、サルを抜いて、余裕を持っていたが、ゴール前で疲れた振りしたサルに抜き返された覚えがある。

とにかく、小学校、中学校は遊び(運動)しまくっていたので、それほどきつかったと言う記憶は残っていない。