なおなっく物語(幼少編)
部活
今日は小学校の時、入っていたソフトボール、サッカーのことについて書こう。
ソフトボールはし○田先生が教えていた。いつもチ○ポが立っていたような気がした。いや、大きかったのだ。
サッカーは、洋ちゃん(あだな参照)だった。ちなみに相撲部は外部指導者の「原田さん」が教えに来ていた。
し○田先生は、夏暑いときにキャンデーを買って食べさせてくれた記憶がある。ある日「先生、キャンデー」と言ったら、鉄管ジュースでも飲んどけと言われた。
いつもおごってくれる訳ではないと理解した。
洋ちゃんにはおごってもらった記憶はない。
ちなみに、天草で野球部があったのは、大矢野だけで、その他は、ソフトボールをやっていた。
ソフトボール
うちの小学校では部活に入るのが小学4年からだった。
私は、ソフトボール部へまず入った。
このソフトボール部へ入ったことで、これまであまり知らなかった地区(在郷、浜洲)の先輩、後輩を知ることができた。
4年の頃の記憶はほぼない。5年の時は、上在郷のと○かず君がピッチャー。キャッチャーを同級生のさる○つがやっていた。
私は当然バケツである。だからあまり覚えていない。小体連もどこまで勝ち上がったのか当然しらない。
6年の時は、バケツからレギュラーになってしまった。守備はファースト、打順は9番である。背番号は13番だった。
・ピッチャー:さる○つ
・キャッチャー:はら○ん
・ファースト:なおなっく
・セカンド:○いいっつぁん
・サード:忘れた(誰かに聞いて書く。ま○とだったっけ?)
・ショート:しょう○ち
・レフト:ま○と
・センター:む○ごろう
・ライト:忘れた(誰かに聞いて書く。か○め?)
南小、北小、志柿が強かった。
春の大会では、南小に負けた。南小には、鎮西→ノンプロに行った「くめ」がいた。
だいたいピッチャーが良いとなかなか点を取れない。
最後の夏の大会は、本渡市の大会を優勝。南小?に1:0で勝ったのだ。
私のMVPは、む○ごろうの振り遅れのランニングホームラン。
郡大会の優勝校牛深に2:0で勝ち県大会に行くことになった。
この頃はかなり楽しかったし、面白かった。
ソフトボールの掛け声は、「オイゴーイ。ナイスピー」だったが意味がわからず叫んでいた。声が良く枯れていた。そのくらい大声で掛け声を出していた。
県大会はなんと言っても泊まれるから良い。県大会は、人吉で行われ、人吉グランドホテルに泊まった。旅館のようだったので「これでもホテルかー」と言って、し○田先生にこっくうかまされた記憶がある。
1回戦はなく、2回戦でサウスポーの小川小と戦った。優勝候補と言われていて剛速球投手がいたが難なく勝った。早いボールは本渡市の大会で慣れていたのである。
3回戦でひょろひょろボールを投げるどこかの小学校にあっさり負けた。
その後、地区対抗の本渡市の大会があったが、佐伊津は地区ではなく町全体で参加したので当然優勝できたのである。
この2回の優勝が私のソフトボールの思い出である。
サッカー
サッカーは、洋ちゃんが佐伊津に来たので部ができた。夏はソフト、冬はサッカーをやる。
隣の五和町の御領小学校が強かった。
佐伊津も強かった。御領小学校に勝ったときは、御領のメンバは泣いていた。
・センターフォワード・・は○しん
・ハーフ・・お○ちん、さる○つ
・ウィング・・○いいっつぁん、しん○ら
・バック・・む○ごろう、なおなっく、か○じ
・キーパ・・しょう○ち
は○しん、しょう○ちがすごかった。
試合は、は○しんの一人舞台。ボールをとりに行くと、「うぉー」とうなって近づかせずに5歩下がってから思いっきり蹴っていた。(笑)
しょう○ちは、ほとんどのボールを止めていた。
さる○つとぼっ○うは、練習中に頭から湯気が出ている奴がいるのを見て、笑っているとこをを洋ちゃんに見つかりこっくうかまされていた。
最後の大会は、亀小にやられてあっさり負けた。でも佐伊津は強かった。
天草にはその当時、中学校にはサッカー部がなく、私のサッカー人生は、小学校で終わった。後は、中学校の昼休みにやっていたくらいだね。