86.能勢町横尾山の国境標石(道標ではない)

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能勢町山辺 横尾山北東200mの府境三ツ辻に、南東を正面に建つ
尖頭型角柱 188x18.5x16p(頂高7p)巻石12x104x108p
N35.010718 E135.397648


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南東面
┌────――――――――――――――┐
│丹波                │
│   國界             │
│摂津                │
└――─―――――――――――――――┘
(「摂」の旁部分は「耳」が三つ)

北東面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

北西面
┌────――――――――――――――┐
│          左 京都府   │
│明治十年三月 建焉         │
│          右 大阪府   │
└――─―――――――――――――――┘
(「焉」はここにの意「エン」)

南西面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘


(明治十年は西暦1877年となる。)
(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行には未記載)
(道標ではなく、施政権が変わる地点を示すだけ。旅人が利用した道ではないと思うが、載せておく。
 この石も南東700mに同時に建てられた「剣尾山の国境標石」と同じ特徴を持っている。
  この石から北東に下ると、亀岡市畑野町土ケ畑大タワに出ると思うが、未踏査である。)
(その他、仮称・順不同ですが、
 1.ひいらぎ峠、能勢町、明治九年、  大阪・京都府
 2.杉原、   能勢町、明治九年、  大阪・京都府
 3.清坂峠、  茨木市、明治九年、  摂津・丹波国
 4.神戸市境、 神戸市、明治三十三年、神戸市
 5.山崎、   島本町、不明、    従是東山城国
 6.神戸郡境、 神戸市、不明、    八部・兎原郡
 7.伊丹町境、 伊丹市、不明、    伊丹町
 8.大山崎、  島本町、昭和十四年、 大阪・京都府、島本・大山崎村
 9.藍本、   三田市、昭和四十九年、摂津・丹波国
 等を挙げておきます。)
(西面の「建焉」は初めて見る書き方で、辞書によると「焉」は「ここに」の意で、音読みは「エン」とあった。
 それで、上記の明治九年三基も見直してみたが写真が悪くよく分からない、取敢えず「爲」のままとする。
 よくあるのは、「建之」で「これにたてる」と読むかと思うが、「建焉」なら「ここにたてる」、「建爲」なら
 「たてたり」などと読むのであろう。)

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【1.標石を北西に望む 【2.標石を北に望む 【3.標石を東に望む 【4.標石を南に望む
 剣尾山北国境碑から来て  北斜面少し下に  後(東)遠くは  左後方(南)は剣尾山
 正面に見える】  反射板が建つ】  亀岡方面か】  奥から登って来た】

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【5.標石南東面拡大 【6.標石南東面上部 【7.標石北西面上部 【8.標石北西面下部
 「…國界」  「丹波」  「明治十年三月…」  「建焉」下に「左 京都府」
 とした】  「摂津」と読める】  と読める】  「右 大阪府」、左右は小さい】

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【9.摂津国の境界碑等】 【10.能勢町西部の道標】 【11.能勢町東部の道標】

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