遊び Pert2

Pert2では、以下の内容について記載しよう。ちょっとだけ佐伊津弁を交えています。

少し危険な遊び

爆竹、いかだ、犬に追いかけられる

自然で学ぶ

クワガタ、魚釣り、潮干がり、うなぎ取り、牧場 など

少し危険な遊び

爆竹

爆竹の思い出と言えば、「うんこ」かな?
いつも爆竹は、佐伊津灯台に行く途中の浜で鳴らして遊んでいた。
蟹のはさみに爆竹を持たせて爆発させたり、ふな虫や死んだ魚に仕掛けて爆発させたりしたものだ。
爆竹には蚊取り線香で火を付ける。
隅田川の水面ぎりぎりで爆発させると、水面で「ボコッ」と言ういい音がでる。
火を付けてすぐ投げると、川に早く落ち爆発しない。
あまり遅いと手で爆発する。手も痛いが、近すぎて耳がキーンとして、しばらく耳鳴りがする。
犬がしたうんこを見つけると「おーい、あったぞー」と言って皆を呼ぶ。
皆が近づくと火を付ける。逃げる時に押したりした。
必ず逃げ遅れるものがいる。そいつの顔を見ると、うんこが散らばっていた。
被害者は、ぼっ○う だったような気がする。
皆で大笑い。いやぁー懐かしい。

いかだ

筏の思い出と言うと、5,6年の3月くらいだったと思う。
まだ肌寒い時に何故か知らないが3人くらいで缶詰工場経由で黒崎海岸まで探検に行った。
そこで、大人が4,5人乗れる筏を発見。
直径1m弱で長さ1.5mくらいの丸い発砲スチールが4つあり、その上に板が張ってあった。
とても頑丈だったので、「こりに乗って佐伊津ぇ帰いろうだー」ってことになり陸地から筏を引っ張り海へ運ぶ。
筏に漕いで佐伊津に向かう。途中で昆布が生えており、昆布を取りまくった。
やっとこそ、佐伊津まで到着。缶詰工場のにきで波が高くなり、大きく揺れ始めた。
漕いでも進まなくなり波に揺られる。
隅田川付近でとうとう筏がひっくり返った。
海の中に放り出され、筏の板で頭を打ったが足が届くので起き上がり、難を逃れる。
寒いけど、筏がもったいないと言う事で、筏を港の中に入れくくり付けて置いた。
筏を紐できびり、港に入れるの手間取る。
びちょ濡れになっていて、このまま家に帰ると親に怒られるので、友人(か○じ)の家に行き、洗濯機で脱水する。
脱水しても乾かないが、濡れたままの服を着て家に帰る。
ばれないようにこっそり帰るが、親にバレてこっくうをくらう。
ちなみに筏は、数日後見に行くとなくなっていた?。誰だとったのは?未だにわからず。
もしかしたら筏泥棒と言われるのが嫌で、海に捨てたかも知れない。忘れた。
いやぁー楽しかった。

犬に追いかけられる

小学4年くらいの時、どこの家の犬か知らないが、土佐犬が放されていた。
自転車で浜洲に行った時、この犬に遭遇。
切替式自転車のギアをアップして逃げる。犬は逃げると追いかけてくる。
逃げても逃げても追いかけてくる。犬におちょくられていた。
田中店の前の旧校舎の門の上に逃げこむ。そしたら、犬は、門の下に座ったまま。
数人いたので、一人ずつ逃げることにした。
じゃんけんで負けた奴がまずこっそり逃げる。成功
次に私が逃げる。追いかけてくる。また、門の上に逃げる。
浜洲の誰かが来て、犬を手懐けている。門から逃げたやつも犬をかわいがっている。
その間に私は逃げようとしたが、また追いかけてくる。
結局1時間くらい、狛犬のように門の上にいた。
その時、逃げ切らなかったので負け犬と言われ、笑われた記憶がある。
いったいどこの犬だったのだろう。その後は見かけなくなった。
うちでも犬を飼っていたので慣れていたが、この犬は大きかった。
この時だけかな?犬に追いかけられたことは。これも思い出。

自然で学ぶ

クワガタ

当時の佐伊津は自然が沢山ありよくクワガタを取りに行った。
合戦場、ビッチュウ、ハール、36匹名所、木村パンの裏の方 などなど
誰がどこで見つけて来るのか知らないがよく行ったなー。
クワガタ取りに行くのは少し勇気がいった。ヒラクチ、すずめ蜂、くまん蜂がいるからだ。
山の入口に自転車を止めてじゃんけんをする。山に入る順番を決める。3番目は駄目だと言われていた。
ヒラクチ(毒蛇)は、1番目で人間に気づき、2人目で跳びかかる準備をして、3人目に噛み付くという事だった。
今考えるとうそやろもん。だけど当時は信じていた。
すずめ蜂が来ると、「シィー、石になれ。」と誰かが言う。
石になったままとおり過ぎるのを待つ。喧嘩はあまりしない。
しかし、すずめ蜂が目的の木に停まって蜜をすっている場合は、仕方がないので足で潰す。

木に傷を付けておくと、蜜が出て昆虫が良く集まっていた。
現地に行くと、一斉にクワガタを取り始める。人と違うところを見ないと取れない。
クワガタとりには必ず、ピンセットと帽子が必要だった。
ピンセットは木の皮の後ろに隠れているクワガタを捕まえるために使用する。
帽子は捕まえたクワガタを入れるために使用した。クワガタを入れ、帽子をかぶる。
コクワやメスのノコギリを捕まえるとあまり嬉しくない。メスノコギリは不細工。コクワは弱い。
ノコギリやヒラタは嬉しかった。7、8cm以上は嬉しかった。
良く学校で自慢話になり、自分が捕まえたクワガタの大きさを自慢する。
皆、負けず嫌いなので、大げさに言う。

ある日、朝、親父が「こらぁ、起きれ」とたたき起こされ「こっちに来てんろー」
と庭に出たことがあった。松の木に「ヒラタ」が停まっていた。7,8cmはあった。
かんつかれると痛いので後ろからこっそり捕まえる。
捕まえたクワガタは虫かご(うちは金魚を入れていた水槽だった)に入れるが、原田製材所に行き、おがくずをもらって、それを下に敷いていた。その上に枝を2,3本置く。
えさは、きゅうりかスイカ食いカスだったなー。

この山の中の探検は、色々な動植物を学ぶことができた。特に在郷軍団は詳しかったな。
ちなみに、クワガタ取りとは関係ないが、はぜの木があった。
このはぜの木を触ったり、木の下を通るだけでハゼマケになる奴がいた。 このはぜの木を汁を付けてさるく在郷のぴろぴろは、先生に怒られていたなー。
うぅーん。懐かしいですね。

魚釣り

浜にでるとすぐ港だったので、たまに釣りをしに行った。それほど釣りにはのぼせなかったけど。
えさは、墨田川にゴカイを掘りに言ったり、イソメを買ったりしていた。
2回ほど事件に遭遇したことがある。紹介しよう。
港に2,30人くらい集まり、こっぱぐろ(メジナ)を釣っていた。結構混雑していた。
1つ上の先輩(こ○し君)もそこにいた。誰かが竿を投げた際、こ○し君の上瞼に引っかかったのだ。
幸い、目ん玉をぎりぎり通り越したから良かったものの、針が取れない。
皆、釣りどころではなくなっていた。
針が取れないので最終的には引っ掛けた人が車で病院まで連れて行っていた。
びっくりしたけど、こ○し君の目は特に異常がなかったから良かった。

2つ目は、ある日港に大量のくらげが発生していた。
釣りをしていたが、くらげを「たぶ」ですくっていた。
そのくらげを踏んだのが、近所のけ○いっつぁん。
どっぼっーん。海につこけた。
その当時は泳げなかったようで、船の先端に捕まっていたが、すべって沈み、また捕まり沈み、と繰り返していた。
なんだかんだで10分くらいはバタバタしていたような気がする。
死ぬんではないかと思ったが、私も助けられない。見ているだけ。
最終的には漁師が飛び込み、船の上に乗せ無事助かった。あー良かった良かった。

ここまで釣りんことは、いっちょも書いとらんけん、ちぃーとばっかし。。。
釣りは、港か灯台でしていた。
腹が立つのがこっぱふぐが釣れた時。食われんし、針を砕くため、膨らまして地面に思いっきり投げつけ、破裂させていた。
今思うと残酷だね。
佐伊津では、チン、こっぱぐろ、がらかぶ、メバル、やーのいお、童鯛(たいの子供)、ギギュー、ぼらがよう釣れよった。
がらかぶは潮んひいた時、灯台のにきーで岩場に降りて、岩ん中に糸たらして釣っていた。
後は、浮き釣り。
東京に来て、浮きを使わない人が多いのを見てびっくり。こっちの方が普通なんだね。

潮干がり

昔は、元の海岸で貝堀り、マテ取りに良くいった。ガネかきをする人も良くいた。
貝堀りも楽しかったが、マテ取りが一番楽しかった。
私が知っている限り、待ては2種類の方法で取っていた。
両方とも、まず鍬で砂浜の表面を削る。縦長の小さな穴を見つける。
その後、塩を入れてマテが上がってくるのを待って、上がってきたのを取るか、もしくは、細長い引っかき棒で穴をほじくって引っ掛けるかのどちらかだ。
引っかき棒はマテに傷が付くので塩を入れる方法を取っていた。
マテを強く引くとち○ぽが千切れるので、そっと引く必要があった。
もぐら叩きのようである。これも楽しかった。
昔は、みな、カキ、ガネが取れたが、今は港になったので、佐伊津ではもうできない。
残念。

うなぎ取り

墨田川にはうなぎがいた。
ちょうど国道と旧道の間に石垣があり、引き潮の時は人が通れるような所がある。
その辺りに仕掛けをしていた。
仕掛けと言っても単純で、パイプを数本沈めておく。
翌朝5時くらいに行き、川に入りパイプの両端を手で押さえる。
そのパイプを岸までもって行き手を離す。
蟹が入っていることもあるが、うなぎがたまに入っている。
うなぎはつるつるすべるので練習していた捕まえ方でで握るがなかなか上手くいかない。
みかんを売っている橙色の網になんとか入れる。
興奮して持って帰ると、ばあさんがさばいていた。
食べたけどあまり上手くなかったような気がした。

あまりうなぎがいるような感じはしないが、佐伊津にはうなぎがいるのだ。
元の浜(海岸)を港にした時、大量のうなぎがいたらしい。

牧場

はじめは誰に連れて行ってもらったかしらないけど上在郷に牧場があった。
さる○つの従兄弟の家がやっていた。その当時、ゆ○か兄ちゃんがいて牧場作業を行っていた。
馬がいたので、えさの草を刈りにいったりしたものだ。
じいさんがキセルで煙草をすっていたのが印象的だ。
トラックで草をおろす際、トラックに荷台が90度くらいまで傾くがそこにしがみ付いたりするのが楽しかった。
色々な面々が集まっていたが、。。。。。悪いこともしていた。

その1.たばこ
その2.いたずら電話
その3.バイク

たばこは、ゆ○か兄ちゃんが吸っていた吸殻に火をつけてふかしていた。
肺に入れることを知らないので、悪にはなりきれなかった。
いたずら電話は、もちろん、聖子ちゃんとしゃべりたいので104に電話して「かまちのりこ」を聞き出していた。
当然、久留米の104に電話する。東京に引越ししたとのことなので、東京の104に電話する。
東京では教えてくれなかったので腹が立ち文句を言って切る。性質が悪い。
その他、本渡のマルキン(たこ焼き&電気饅頭屋)に電話して、女のまんじゅうちょうだいと電話して笑いを取っていた。これまた性質が悪い。
一番性質が悪いのがバイクである。
牧場に行く楽しみがバイク(スクータ)に乗ることである。
ゆ○か兄ちゃんからは、「乗ってもよかばってん、こん敷地からずるな。」、「ガソリンはわがどんで買うてけー」と言われていた。
当時リッター180円のガソリンを農協でコカコーラの1リットルビンに入れてもらって、牧場に持って行っていた。今思えば、良く農協でガソリンをガキに売ってくれたよなと思う。
ある日、ゆ○か兄ちゃんとの約束をやぶり、ムー○ンと牧場の外に出た。
子供はバイクに乗っては駄目と言う世間のルールを知っていた私は、大人に見せるように立ち乗りをしていた。(完全に子供の浅知恵だね。)
本当は、約束を破ったのはこれが初めてではなかった。
一般道を走っていると、中村組の土方の車とすれ違う。乗っていた人が振り向いていたのに気づく。こっちはスクータに二人乗り
すれ違う車を気にしながらぶらぶらしていると、中村組の車がクラクションを鳴らして来るのがわかった。
やっばぁーい。農道を走りながら追いかけられ始めた。
逃げていたら道が行き止まりに!!
とうとう捕まった。車の荷台にバイクを載せられ、牧場まで連れて行かれた。
ずっと下を向いていた。結局牧場で下ろされ、ゆ○か兄ちゃんが土方の人と話しをしていた。
結局、警察に連れて行かれないが報告をするとのことだった。
それ以降、牧場にはいけなくなった。
親父に、こっくうをかまされ、警察が家に来たと言われた。
本当のことはどうだか知らないが家に連絡が来たのは親父のこっくうでわかった。
ああいう、やばい緊張感は人生でそれほどない。
でも、いい思い出で強烈な出来事だった。

小学校3年の時、おうど坊主で口が悪かった私は先輩に暴言を吐いていた。
佐伊津では、夏休みの課題としてプールへ20回以上行かないと行けないルールがありプールへ通っていた。
プールは、4,50分したら、笛がなり10分休憩に入る。
日頃、暴言を吐いていた私は、3つ上の6年生に目を付けられていて、浅い箇所で泳いでいたところ、先輩が潜ってきて、私の足を引っ張って深い所に連れて行かれた。
足が届かず、先輩が引っ張るため、プールの水を飲み、危うく溺れそうになった。
それからは、プールに行っても、その先輩がいないことを確かめて泳いでいた。しかし、暴言は直らなかった。
この年にある程度泳げるようになった。
小学校5年からは、プールはノルマだけであり、楽しくないので港でよく泳いでいた。
港を横断している時に、船が来ると必ず漁師に怒られた。
「わりどんは危なかどうが。スクリューに巻き込まれたらどがんすっとが」など。
船や桟橋から飛び込みどのくらい深くもぐれるか、港の端で素もぐりで底の砂を掴めるかなど、友人と競い合った。
この時も漁師に「わりどんは、そげんとっから飛び込みよったらたこに足ば引っ張られるぞー」って金馬のようなことを言われたなー。
この頃、どれだけで泳げる河童になった。
海で泳ぐのは盆前までで、盆を過ぎたら「いら」が出るのでプールに行っていた。
「いら」は、海に浮いている草に隠れ、四角い体に10数cmくらの触手が7,8本伸びていた?
「いら」にかまれたら、電気が走ったように痛くて泳ぐのが楽しくなくなる。
私は数多くかまれた中で二の腕や脇の下をかまれたるのが一番痛かった記憶がある。
かまれた時はしょんべんをかけていた。
夏休みは、毎日のように泳ぐため真っ黒の私でしたが、泳ぎまくっていたため今でも溺れる気はしない。
しかし、先日プールに行ったが、昔は何時間もクロールができたけど、50mで腕が上がらなくなった。
おっさんだね。
クロールは無理でも立ち泳ぎはできる自身がある今日この頃です。

その他

佐伊津は都会でないため、家でゲームする人間より外で遊ぶ子が大半だった。
そのおかげで、竹とんぼつくったり、草笛を吹いたり、鬼火焼きのため竹きりにいったり、鎌もって草刈ったりと色々なことができた。
近くの大人が色々なことを教えてくれたおかげである。
佐伊津に感謝したい。