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![]() てつまるくんの今日のひとこと |
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とってもリアルな彫刻2002/12/15 (本編公園内に掲載中) |
西区の靱公園内にとってもリアルな彫刻たちが有ります。それは実物大でしかも服装に着色までされています。従ってそこに今その人達がいる様な錯覚に陥ります。ましてや回りに人達がいればその中にとけ込んでしまいます。動きを感ずる仕草は特別な物では無くて、ごく普通に見受けられる事柄な所がさらにリアルさを増しているようにも感じられます。 又、道路上に設置されていると言う大変珍しい展示方法もその効果を添える物でしょう。 |
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市章・みおつくしの由来 2002/12/10 |
「みおつくし」とキーボードから打ち込むと「澪標」と出ます。天保山の沖合を第一番として、川上に向かって十番まで作られたらしい。もちろん、水深の深い安全な水路を示す為の杭でした。写真は天保山公園に「浪花百景・天保山=南粋亭芳雪・画」の模写として描かれた澪標です。なるほど大阪市の市章の図案の原型とも言えそうです。沖合に出て船から見たって感じの構図
。正に水の都大阪に相応しい道しるべ=澪標ですね。 尚、原画は大阪城天守閣に有るらしいですヨ! |
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阿倍野の地名の由来 2002/12/05 (関連記事10/20参照) |
大化改新の時の左大臣・阿倍倉梯麻呂の邸宅が有り、阿倍王子神社を創建。944年この地で安倍晴明が誕生、1007年安倍晴明神社が創建される。北畠顕家が戦死した古戦場にお墓と共に掲示されている図には、顕家卿安倍野合戦の図(1338年北畠公園内)と書き込まれている。1796年に書かれた摂津名所図会では、顕家の墓(大名塚)と共に、阿部野王子権現と記されている。北畠親房・顕家親子を奉って明治15年創建されたのが、阿倍野神社です。これで決まりかな? | ![]() |
天下茶屋跡の発見 2002/12/01 |
西成区の岸里を東に入って南海高野線と南海阪堺線の間に旧紀州街道が有りました。住吉街道ともいうらしい。少し南に下ると天満宮が有ります。道路際には高麗橋より7.1kmの碑が建っています。ここから100m程西に行った所に、道路にちょっと突き出した大きな楠と小さな倉が有ります。今では唯一この部分だけが天下茶屋として残っているそうです。秀吉を始め各大名達が住吉大社に行く途中の休憩所らしく、豪華な茶室と宿泊施設が有ったそうです。つわもの共の夢の跡って感じ。 | ![]() |
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